2008年5月16日 (金)

「町田モコモコ」

今日は町田の『モコモコ』というカレー料理専門のお店でライブ演奏。
三味線一本ライブです。

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このお店では、月に一回から二回ライブ演奏を催すそうです。
私の知っている音楽家では、スパニッシュコネクションの平松加奈さん
やタブラの吉見征樹さんなどがよく演奏されるそうです。

田根さんと会場入りをして音を確かめてから、開演まであたりをぶらつき
ました。
このあたりは私にとってとても懐かしいところ。お店の向かいは町田市役所、
歩いて数分のところには私の母校 町田市立第一中学校があります。

中学校の時の私はまるっきりの子供で、いたずらばかりしていました。
友達とよくこの市役所の中で遊びました。市役所食堂でこっそりカレーライスを
たべたり、立ち入り禁止の市議会議場に忍び込んで、警備員に見つかり
追いかけられたり。また、そばには町田に古くからあるお肉屋さんがあります。
このお店の、もう亡くなった先代のおばあさんには、私が保育園の頃から
いろいろと可愛がってもらいました。

二人でぶらついていたら、いい感じの喫茶店がありました。
4人掛けのテーブルが4つにカウンターだけの小さな喫茶店。そこで紅茶と
フレンチトーストを頼みました。マスターは時間と手間をかけてフレンチトーストを
作ってくれました。
飲食店に入ればほとんどのメニューがレトルトか冷凍食品という昨今、
手作りのフレンチトーストがとても美味しく嬉しく感じました。
紅茶は白いポットで香りたかく、フレンチトーストはふわふわでした。

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高級ホテルのレストランならいざ知らず、500円のフレンチトーストに心を込めて
お客様のために一生懸命作るマスターに、感動すら覚えました。

開演まであと30分。
さぁ私も、心を込めて一生懸命、演奏しようと思います。

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2008年1月25日 (金)

「和リーグ」

今日は高久さんのプロデュース、和リーグの舞台。

同じ邦楽の世界でありながら、同じ舞台に上がることは
あり得ないという組み合わせの共演が行われます。

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太鼓と狂言、津軽三味線と狂言。これも高久さんの和の
世界での顔の広さと、見識の高さからでしょう。
ただこのように、今まであり得ないことをするというような
舞台は、日本ではチケットがなかなか売れません。
今回もだいぶご苦労されたことと思います。

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一部の終わりに私のソロ演奏の舞台。
津軽よされ節、津軽音頭、そして荷方節の三曲。
一曲一曲にそれぞれの照明。
舞台の後ろのスクリーンにはそれぞれのイメージの映像や字幕。
もう否応なしに私の集中力は高まります。

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休憩をはさんで二部の最初は、私と太鼓の響さんとのデュオ。
そして狂言と太鼓とのコラボレーション。

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その後にいよいよ狂言と津軽三味線とのコラボレーション。
私は今まで、お芝居や映画の音楽として参加させていただいた
ことがあります。この場合、もちろんお芝居や映画が主役であり
ますから、私は主役を引き立てるために気持ち的に後ろに下が
って演奏します。
しかし今回は狂言のバックではなく、対等の気持ちで演奏して
よいということで、気持ち的にも音量的にも、思いっきり演奏して
しまいました。

これも、私にとって今までにない新しい試みでした。

狂言師の方のお家は、代々室町時代からのお家柄だそうです。
新しいことやしたことのないことに、抵抗を感じてしまうのではない
かと思っていたのですが。なによりも気持ちよかったのは、狂言
師の方々のふところの広さでした。


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2007年10月20日 (土)

「成田弦まつり。」

成田弦まつりは数年前から三味線、主に津軽三味線をメインに
したお祭りにしようと、成田商工会議所が主催して行っております。

私も近くに住む津軽三味線奏者の一人として、私の出来ることで
協力させていただいております。
特に今回は、成田山本堂での百人大合奏をするということで、
私もいろいろな津軽三味線の先生方に参加を呼び掛けました。
おかげ様で今回は、目標を大きく上回る約130名の津軽三味線
演奏者の方々が集まって下さいました。

白い鰯雲が浮かぶ青空の下、たくさんのお客様を前に本堂前
大階段にて、私の師匠の作曲した『あどはたり』を合奏しました。
いろいろな流派の方々が心を一つにして、このような晴れの
舞台を共にすることが出来て本当に嬉しく思いました。

十数年前私の師匠は、青森県岩木町を津軽三味線のふるさと
として、津軽三味線フェスティバルを開催して、日本全国いろいろな
地方の先生方に声をかけて、流派を越えて一つのフェスティバルを
創りました。

その時もやはりこの『あどはたり』を、岩木町体育館で
数百名の大合奏をいたしました。
今にして思えば、師匠の企画したこのフェスティバルと弘前の
三味線コンクールが、津軽三味線の世界を開かれたものにして、
そのことが若者達による現在の津軽三味線ブームに繋がっていった
のではないでしょうか。

本堂前大階段からふと空を眺め、師匠に語りかけました。

『先生。私は今でも、先生の後ろを追いかけています。』


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2007年3月10日 (土)

「広島県世羅町」

今日は広島県、世羅町のせらにしタウンセンターでの演奏です。
久方ぶりに通芳と二人の演奏会です。広島空港をおりましたらお迎えを受けて
車で約50分、山中のアップダウンを繰り返す山道を行きます。

私は30年近く前からの花粉症で、この季節はマスクを離せません。
車の外を見れば、杉や松の木がそれこそ山を覆うようにはえています。
一瞬「うわぁ。」と思いましたが、そういえば飛行機を降りてからくしゃみを
一度もしません。不思議不思議。
やはり花粉症には、花粉だけが悪いのではなく。花粉と、排気ガスなどの
有害物質が結びついて花粉症を引き起こすのだという話しは本当なのかなぁ、
と思いました。

山中の道はやがて山里という風景になりました。田や畑の中に、茅葺き屋根の
家が点在しています。日本の原風景という風情です。空港から一度も町を通らず
にそのまま、せらにしタウンセンターに着きました。

ホールは新しく近代的で素晴らしいホールでしたが、お客様方は素朴でとても
純真な感じがしました。演奏中も、ほんの少しの演奏の起伏に対しても
「わぁー!」というような反応をして下さる。曲間の話しにも暖かい拍手をいただける。
演奏している私どもの方が、心が暖かいもので満たされて行く、という気が致しました。

終演後は空港ホテルまで車で送っていただきました。帰りの山道は月も星も無い、
真っ暗な魑魅魍魎の出現しそうな風情。ヘッドライトにさっと小さな影がよぎります。
月の無い晩には、よく狸が車にひかれるそうです。
夜はお腹がすいて通芳と二人、ホテルのお部屋でコンビニで買った物を食べました。
通芳はむしゃむしゃと、食べること食べること。

もーちょっと、腹も身の内ということも考えたらいいのに。

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2007年2月24日 (土)

「能舞台」

今日は松山市民ホール小ホールで演奏です。

松山市での演奏は12回目、1993年からあしかけ15年目です。
本当に長い間、たくさん演奏させていただきました。
そのうち七回はこの松山市民ホールの小ホールで演奏させていただきました。

この小ホールは、能舞台になっています。
この能舞台が私はとても好きです。演奏が始まるのは夜ですが、
私はいつもお昼から会場入りをして、三味線を二時間くらいかけて
ゆっくり試し弾きをします。不思議なことに、この能舞台での三味線の
音色は毎回違うのです。今回は特に音色が、キラキラきらめいていると
いう感じなのです。一音一音、すべてがそれぞれ光り輝いています。
本番での演奏が楽しみです。

試し弾きを終えて、お弁当を食べてお茶を飲んでいますと、いつもお手伝いを
して下さる方や毎回聞きに来て下さるお客様が楽屋にみえました。
何回も私の演奏を聞いて下さるお客様や、私の演奏会を主催して下さる方を
前にしての演奏は、とても緊張します。
初めて私の演奏を聞いて下さるお客様を、ある程度感動していただくことは
出来ます。しかし二回目のお客様に感動していただくには、一回目の演奏より
少しでも演奏者がグレードアップしていなければなりません。
ましてや三回目四回目、となると更なるグレードアップが必要になります。
松山市は私にとって12回目の演奏会です。
開演時間が近づくと共に、私の緊張感は最高潮になります。

開演時間になりました。舞台下手の橋がかりより、まるで能役者のように、
私はしずしずと出て行きます。前回よりいい演奏をしなければ、リピーターの
お客様を満足させられない。更なる記録に挑戦するスポーツ選手の気分です。
お客様を前にしての三味線の音色は、先程の試し弾きの音色とはまた違いま
した。面食らいましたが、これがまた三味線の面白さです。
試し弾きの時と同じように音色がきらめいているのですが、試し弾き時の音色を
銀色とすると、本番の音色は金色に輝いているのです。
時々金色の光りで目が眩むような感覚に襲われました。

演奏が終わり打ち上げの席で、主催の方に「通弘さん、また一皮むけたね。」と
言っていただきました。

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(活イカの刺身!!美味しく頂きましたよ)

今回の挑戦では、またほんの少しの新記録が出たようです。

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2007年2月23日 (金)

「前夜祭」

今日は「音の輝きコンサート前夜祭」と題して、松山市近郊の
伊予市でライブ演奏です。会場はカレー屋さんです。
お店の造りが、床や壁に木をたくさん使っているので、三味線の
音が通って行きそうです。

開演10分前には、テーブルを取り払って椅子だけにした会場に
満席のお客様が、開演を今か今かと待っている状態でした。
私はいる場所が無いので外に出ていました。四国とはいえ外は
まだ寒いですが、銀色に輝くお月様を見ていました。

演奏が始まると、お客様のすごい熱気。私はホールの演奏も
好きですが、(こういうライブもいいなぁ。)と思いながら、私も
お客様と一体になっていきました。
お客様方は、盛り上がったせいかライブが終わっても皆さん
そのまま飲みはじめ、誰も帰りません。
演奏が終わったら、お店の美味しいカレーを食べさせてもらえる
はずだったのに・・・。結局美味しいカレーは食べることが出来ま
せんでした。

会場からホテルまでの帰り道の間も、私の心の中はずっと(カレー!
カレー!)と、叫んでいました。

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2007年1月20日 (土)

「盛岡市民ホール」

今日は盛岡市でのコンサートです。
盛岡市、私のコンサートとしてはお初の御目見えでした。
ホールはサントリーホールのようなクラシックのホールで、とてもいい
響きを持ったホールです。
舞台上正面には大きなパイプオルガンがありました。
私の演奏によって、この大きなパイプオルガンが、お客様方に恐山の
さいの河原に見えたり、ねぷた祭りの跳ね人に見えたりするような
演奏が出来ればいいなぁ、と思いました。
お客様方は品のいい中年の方が多く、とても落ち着いた雰囲気でした。

コンサート前半、いつもの私のコンサートのように、緊張感のある曲と
話しをさせていただきました。その時のお客様方の集中力は昨年
釧路でしたライブに匹敵するくらい、息詰まるくらいのものでした。
「このままコンサート後半になっても、このすごい緊張感がほぐれなか
ったらどうしよう」。と、心配になるくらいでした。
ところが後半、緊張感をはじけさせるような曲をはじめたとたん、
お客様もたちまちはじけました。それもすごいはじけ方で。
さすが南部の、東北のお客様と思いました。

かつて津軽の芸人達が一座一行を組んで、東北地方北海道、戦前は
樺太まで興業をして回っておりました。私が弘前で内弟子をしていました頃、
この盛岡近くにも興業で師匠と共に参りました。
その頃のお客様方は、曲のいいところではまるで会場に誰もいないが如く、
しーんと水をうったように静まりかえり、曲のクライマックスに来ると、
会場いっぱいの割れんばかりの拍手喝采w)。
お客様方はまことに心得てたものでした。

今夜のお客様方は、その頃のお客様方を思い起こさせるようでした。
曲のここぞというところでは、すごい緊張感。そしてクライマックスではあたた
かい心よりの拍手喝采を惜しみなく。これらはすべて私の師匠山田千里を
はじめとする、津軽の芸人の先人達のおかげです。
先人達が命をかけて演奏して、このあたたかいお客様方を作ったのです。
私はここ盛岡で、その先人達の恩恵を一身に受けました。
はれやかな、歓びに満ちた舞台を味わいました。自分の芸に、命と誇りをかけ
て演奏した津軽芸人の先人達に、そしてこの素晴らしいお客様方に、私は
心よりの感謝を捧げます。

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2006年11月26日 (日)

「新酒の為の演奏会」

昨日は酒蔵での演奏会でした。

お酒を作る大きな樽のようなタンクがたくさん並んでいます。
まさにそのタンクの中では、酵母菌でお酒が育っているのです。
ここは北陸の魚津市。東京に比べてとても寒く、空気が澄んでいて、
ぴんとはりつめたような寒さです。演奏の前に会場となる酒蔵と、
敷地内にある湧き水を案内していただきました。
この湧き水は「日本の湧き水百名泉」に選ばれているそうです。
こんこんと湧き出でる湧き水を飲めば、冷たくても柔らかく、すばらし
いお水でした。こんなお水でお酒を作るのだから、出来たお酒は
たまらないだろうと思いました。
早くもこの湧き水で出来たお酒が、飲みたくなってきてしまいました。

演奏をさせていただける場所は、お酒の神様を奉ってある大きな
神棚の前です。外も寒いのですが、蔵の中はもっと寒いのです。
蔵の中は醸造中のお酒の為に、なんと冷房をかけていたのです。
お客様は50名くらいの方々。最初に社長さんのご挨拶がありました。
お酒はあと三日ほどで絞るのだそうです。その絞る前のお酒に、
三味線の演奏を聞かせていいお酒にする為に、私が呼ばれたの
です。せっかく演奏するのだから、聞かせるのはお酒だけではもっ
たいないので、親戚や近くの知り合いにも声をかけたのだそうです。

今日の私のお客様は、新酒だったのです。

昨夜は、蔵からいただいたまだ絞る前の濁った白いお酒。
純米酒。吟上酒。まったく堪能を致しました。おかげで今朝は寝坊
してしまいました。

今日は蔵本のご親戚の、お宅での演奏です。

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2006年11月 3日 (金)

「大安寺柳の蝉の声」

今日は岐阜県の大安寺という、古いお寺でコンサートです。

出演者は私と尺八の田辺頌山さん、太鼓唄の木津茂理さん。
それにすばらしい絵と言葉をお書きになります、作家のひろはまかずとし氏です。

今回のコンサートは、ひろはまかずとし先生のファンの方々によって実現しました。
いつもの私達三人の演奏に加え、ひろはま先生の創作実演と演奏とのコラボレー
ションが行われました。
大安寺は大変古い由緒あるお寺だそうです。私達の控え室にあてて下さったお部
屋には、昔、和尚様が篭ったという、狭い隠れ部屋のような部屋がありました。
茂理さんは、その部屋に篭って着替えをしていました。

私のソロ演奏の後に、木津茂理さんが田名部お島コ節を唄いました。

♪「田名部お島コのー、音頭とる者はー。大安寺柳の蝉の声ー。」

大安寺?私は驚きました。
少し背筋がぞわっとしました。
田名部お島コ節の歌詞の中に、大安寺があったのです。

明日は栃木県大平町、通芳と演奏です。

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2006年10月16日 (月)

「酒遊舘の音の神様」

昨日は滋賀県近江八幡の酒遊舘という、江戸時代から続く蔵本の蔵をそのまま
ホールにした、という空間で演奏をさせていただきました。

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私はこちらで年に一度、秋に演奏させていただいて今年で13年目です。
毎年この酒遊舘で演奏するこを楽しみしています。この空間は、江戸時代からの
蔵という、年月を重ねた古い建物です。このような古い建物には、その場所その
場所独特の味わい深い音があるのです。酒遊舘の音は、音の余韻が丸く延びて、
私にはとても色めかしく感じられるのです。
いつも酒遊舘に来る時は、早めに会場入りをして、二時間も三時間も三味線を
弾いてその音を楽しみます。ですから、本番開演の時にはもうすでに演奏を終え
た後のような気分になってしまっていたりします。

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昔からお酒を造る時には、酵母菌が発酵して・・・というようには考えず、ひとつ
ひとつの蔵のそれぞれ神様がいて、それぞれの味わいのあるお酒が出来る、と
考えたそうです。
演奏する音にもやはり、それぞれの空間に音の神様がいて、それぞれの味わい
のある音が出来るのでしょうか。 私は来年の秋にもきっと、酒遊舘の音の神様に
会いに行くことと思います。近江八幡の古い街並みにはまた風情があります。
酒遊舘はその古い街並みの中にあります。

皆さんも秋の近江八幡を味わいに、そして酒遊舘の音の神様に会いにいらっしゃ
いませんか?

通弘

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2006年9月29日 (金)

「佐藤通弘門下生発表会」

佐藤通弘門下生発表会が、明日9月30日に横浜市泉公会堂でおこなわれます。

私は二十歳の時から三味線のお弟子をとらせていただきました。それ以来、二十数年間、三味線の師弟という関係を通しても、いろいろな方とお付き合いさせていただきました。今思えば、私はお弟子さん方に三味線を教えたというよりも、いろいろな人生のことを教えていただいた、という気がいたします。お弟子さんは私の映し鏡。お稽古の時、私がいらいらすればお弟子さんもいらいらしてくる。私が笑えば、お弟子さんも笑う。これはお稽古に限ったことではなく。舞台上の演奏者と聴衆や、人と人と接する時は、みんなそうなんだ、思うようになりました。

発表会でお弟子さん方が演奏します。たとえ同じ曲を演奏しても、お弟子さん方ひとりひとりが皆違う演奏をします。三味線の演奏を通して、ひとりひとりの人柄や個性が手にとるように分かるような気がします。
もしお近くの方でお時間がございましたら、観に来て下さい。相鉄線いずみ中央駅下車、徒歩五分くらいの所にあります。開演一時、終演は六時から七時に予定致しております。

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2006年9月24日 (日)

「大通寺での演奏会」

昨日は滋賀県長浜の大通寺という、戦国時代からの古い大きなお寺で演奏させていただきました。
演奏させていただいたのは、そのお寺の大広間。伏見城の大広間を移築したものだそうです。大広間はとても広くて、三百人は楽に入る広さです。まるで黒澤監督の時代劇の大掛りなセットを見るようです。その大広間にいると、上座の広くて高い所に殿様が端然と座り、広間には何百人という家来がひれ伏している。そんな情景が浮かんでくるようでした。

一緒に演奏したのは、私の妹弟子の村富満世さん、パーカッション、尺八、マリンバなどを奏でる京都住まいのアメリカ人ロビン ロイドさん。このお仕事は村富さんからいただいたものです。妹弟子の村富さんからお仕事をいただくなんて、なんか私はとても嬉しく思いました。芸の上では師匠は私の親。村富さんは妹です。親が亡くなっても、兄弟が仲良く助けあっているのは、きっと天国の師匠も喜んで下さっているだろうな、と思いました。


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2006年9月18日 (月)

「東金文化会館」

昨日は東金文化会館で演奏させていただきました。
東金では、ほぼ毎年演奏させていただいておりますので、毎回コンサートの内容を変えて演奏致します。

今回は「津軽民謡と津軽三味線」という趣向の内容でプログラムを作らせていただきました。
今回のゲストは、太鼓を叩き唄うプレイヤー木津茂理、若いのにベテラン民謡歌手木津かおりの姉妹。成田市滑河在住、青森県出身の唄い手、堀越かつえ
以上のお三方に出演していただきました。

昔、私が三味線修行をしていた頃の舞台では、津軽民謡や踊りの伴奏九割、津軽三味線の独奏は一割、といったものでした。
最近は津軽三味線主体の演奏がほとんどなので、津軽民謡の伴奏をこんなにたくさんするのは、久方振りのことです。
私の中に眠っていた伴奏者としての津軽三味線奏者の血が、蘇ってきた感じがしました。

また舞台美術は、墨の絵作家の山崎倖子先生に私共のオーストラリア公演の為に制作して下さった大作を、東金文化会館にも使わせていただきました。舞台上には、恐山のような岩木山のような、不思議空間が生まれました。

私は二、三日前から体調がすぐれず、いい演奏が出来るかどうか開演の幕が開くまで心配でした。でもひとたび演奏が始まると体調のことも忘れ、演奏に集中することが出来ました。
コンサートの予定曲目が全て終わり、アンコールの拍手をお客様からいただいた頃には、もうすっかり元気になっていました。

私が若い頃には、お客様が多い会場であればあるほど、演奏の後で私の体調は悪くなっていることがありました。でも最近は、たとえ演奏の前に体調が悪い時でも、たくさんのお客様の拍手をいただくと、開演前よりも元気になってしまうのです。
とても不思議です。
私と同じように、お客様方にも私の演奏を聞いていただいたことで、さらに元気になって下さったら、とてもとても嬉しいと思います。

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2006年7月24日 (月)

「長いお付きあい」

一昨日から私は福島県に来ています。
一昨日は郡山の商工会議所会館で演奏。昨夜はいわき市音楽館で
演奏しました。この催しを主催していますのは「縄文ソウルの会」という、
いわき市の高校教師である新妻先生を中心とした会員の皆様です。

この会は1月と7月の年二回行われ。今回は第39回、20年目の演奏会
でありました。毎回、他では見ることの出来ないコラボレーションや、
異色のアーティストを見せてくれます。
私はこの会の、三上寛さんに続いて二番目の最多出演者ではないか
と思います。

新妻先生にお会いしたのは、もう30年近くも前のことです。
新妻先生が新聞に載った私を見て、わざわざ東京まで会いに来て下さ
ったのです。新宿花園神社のそばの飲み屋で、お酒を酌みかわしました。
すぐ隣で、今は亡きたこ八郎さんが酔い潰れていました。
それから今まで、何回福島に呼んでいただいたことか。最初は私も20代
でありました。縄文ソウルの会の方々もやはり、その頃は若かった方も
今はそれなりにお年を召されて。
私はいつもこちらに来るたびに、演奏やお酒を飲むのに夢中で、何も考え
てはいませんでしたが。思えば不思議なものです。
会の皆さんといろんな所で演奏会をして、打ち上げ会で飲んで。
それを繰り返しいるうちにいつのまにか時が過ぎて、お互い年齢を重ねて
いました。今思えば、何か浦島太郎のような感じがします。

前に私は、演奏会は一期一会と書きましたが、この会ははそうではなく。
長い長い年月、会の方々と共に人生の旅を続けているような感覚がする
のです。

来年は「縄文ソウルの会」21年目、40回を迎えます。
新妻先生をはじめとした縄文ソウルの会の皆様のご健康と、会のさらなる
発展を、心よりお祈りする次第であります。

通弘

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2006年7月 2日 (日)

「一期一会」

今日は九州久留米から電車で20分、大刀洗町のドリームホールで演奏です。
前日久留米のホテルに泊まり、西鉄電車に乗り大刀洗町に向かいます。
途中単線の線路を二両編成の電車は、ゆっくりゆっくり左右に揺れながら、平坦な
田園の中を行きます。

ドリームホールでは満員のお客様。
今日は大刀洗町の、人権問題についてのイベントのひとつとしての公演です。

私と通芳の二人で2時間20分、お話しと演奏をさせていただきました。
「人に非ず」とされていた、昔の津軽の芸人達の悲哀を。私の経験と先輩達から
聞いたことから、お話しをいたしました。国や思想信条、宗教や職業人種、
肌の色の違いなどから起こる差別や偏見が、世界中から無くなりますように、
ただただ祈るばかりです。

今日のような、地方の県や市町村のお仕事のほとんどは、一度行けば一度限りです。
まれに二度三度と呼んで下さる所もありますが。地方公共団体の公共性から、同じ人は二度とは呼べないのです。だから、一期一会なのです。
今日、駅まで迎えに来て下さった町の職員の方も、楽屋に挨拶に来て下さった町長さんも。演奏させていただいたこのホールも、揺れながら乗った電車も、みんな一期一会。
もう二度と一生会えないかもしれないのです。

そんなことを考えていると、縁というものは不思議で、そして大切な、いとおしいもののように思えてきました。

終演後、福岡に向かう西鉄電車に乗りました。
福岡に着くまでの間、窓の外を流れ行く風景を目に焼き付けるように、見つめていました。
明日は札幌に向かいます。

通弘 http://www.tsugaru-michihiro.com

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2006年6月27日 (火)

「目には見えないもの」

 25日の日曜日に私の住まいである酒々井町の新しい会館で、初めて演奏させて
いただきました。私の家から、歩いても15分くらいの「プリミエール酒々井」です。
東京からスタッフの方々が車で迎えに来ていただきましたが、荷物だけ運んでもらい、私は家から歩いて会館までまいりました。自宅から歩いて演奏する会場まで行くなんて、もしかしたら私にとって初めてのことかもしれません。

 かれこれ20年近く前から、私の演奏を観に来て下さるお客様がいらっしゃいます。
主催者より、埼玉県にお住まいの方で入場券を買って下さった方がいる、ということを聞き、もしかしたら私はいつも応援してくださるあのお客様だ!!と直感いたしました。

JR酒々井駅から酒々井町の会館までは歩くと15分以上かかり、しかもなだらかな登り坂になっています。駅前にはタクシーはおりません。お年を召したあの方にとって、駅から会館まで歩くことは、とてもきついと思いました。しかし迎えに行くとしても、酒々井に来るのにはJR線と京成線の二つの方法があります。また何時の電車でいらっしゃるのかも分かりません。
私は、あの方が今までの長い歳月、いろいろな演奏会場に見に来て下さったこと。四季おりおりの品物やお手紙を送って下さったことなどを、思い出していました。するとなぜか、「JR線の12時23分着の快速電車に乗っていらっしゃる」というような気がしてならなくなってきたのです。
思いきってリハーサルが終わった後、スタッフと一緒に酒々井駅に行ってみました。すると12時23分着の快速電車から、あの方は降りていらしたのです。その時私の心の中が、何か暖かいもので満たされていくような感じがしました。そして私の心は「ありがとうございます。ありがとうございます。」と言っていました。

そして今日の舞台もまた、一生懸命つとめさせていただきました。

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いつも応援してくださる皆さま本当にありがとうございます。

通弘

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2006年6月 8日 (木)

「音や金時ライブ」

先週、3ヶ月ぶりに音や金時ライブがありました。
一緒に演奏していただいたミュージシャンは、ジプシーヴァイオリンの太田惠資さん、
タブラの吉見征樹さんでした。当日はたくさんのお客様に来ていただき、大変盛り上が
ることができ、とても嬉しかったです。

ライブハウス音や金時は、三味線にとって、音の響きがとてもいい場所のひとつです。
ヴァイオリンとタブラは、音量のバランスをとる為にマイクを通していますが。三味線は
まったくの生の音です。
会場の大小にかかわらず、生の音で演奏できて、変質せずに三味線そのままの音で
演奏できる会場は、なかなか無いものです。
私はライブハウスでの演奏が、どうも苦手でした。ホールでは、いくらお客様が多くても
少なくても。お客様がどんな感じで聞いていても。客席を暗くして、舞台の上でスポット
ライトを浴びれば、自分の世界というか、自分で作ろうとしている世界に入ることができ
てしまいます。でもライブハウスですと、目の前にお客様がいて、お客様の前で演奏し
ている自分という現実が見えてきてしまいます。
ですから我に返ってしまい、照れくさい恥ずかしいみたいな気持ちが出てしまうのです。
でもこの頃は、おかげ様で少しずつライブハウスでの自分の気持ちの持って行き方が、
わかってきたような気がします。
ホールでは、まず自分の世界を作り上げて、その世界にお客様に入って来ていただく。
ライブハウスではお客様と一緒にその場を作り上げて行く。そう考えると、ライブハウス
での演奏が、だんだん楽しくなってきました。今後の音や金時でのライブの予定は、7月
19日
9月25日です。
まだ音や金時にいらしたことの無い方は、ぜひ一度いらして、生の三味線の音を試してみて下さい。そして一緒に盛り上がりましょう

通弘
http://www.tsugaru-michihiro.com

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2006年5月30日 (火)

民謡ショー

28日は、久方振りに民謡のお仕事をさせていただきました。

今でこそ津軽三味線は独立したジャンルとして、津軽三味線だけのコンサートが行われるようになりましたが。私が津軽三味線を志した頃は、津軽三味線は津軽民謡の伴奏という位置付けでありました。ですから昔は民謡のお仕事の方が多かったのです。

混雑している楽屋の通路を歩いていると、十年二十年も前から知っている人の顔、顔、顔・・・。

「あ!お久しぶりです。お元気でした?」と、挨拶をしながら歩くと、なかなか自分の楽屋にたどり着けないほどです。昔は少し煩わしく思ったこともあるこの民謡の雰囲気も、今ではなにか懐かしい気持ちです。

民謡ショーはたくさんの出演者の方々がいるので、たいてい長時間の演奏になります。私は自分の出番までの間、客席で他の出演者の皆さんの演奏を聞いていました。同じ曲でも、演奏者の個性によっていろいろな曲に聞こえてきます。とても面白いと思いました。そして、演奏を聞いているお客様は、「演奏者のどこにひかれるのだろう?」と思いながら聞きました。演奏の技巧の優劣はあるものの。私はやはり、「出演者が舞台に出た時の存在感にお客様はひかれるのではないか。」と思いました。その出演者が舞台に出ただけでその存在の意味を感じさせるような、そんな演奏者にお客様はひかれるではないのかと。私の師匠山田千里は、体こそは小柄な人でありましたが。ひとたび舞台に上がれば、まるで岩木山のように大きく大きく見える演奏者でした。ですから、よく人に「あー。山田千里さんて、体が大きい人でしょう?」聞かれたものです。今に私も、「佐藤通弘はひとたび舞台に上がるならば、まるで別人のように、山のように大きく見える演奏者だ。」と言われるような、存在感のある演奏者になりたいと思いました。

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