2013年11月 2日 (土)

『文化講演会。』

日立市での文化講演会。
会場入り予定時刻、10時30分ジャストに到着。
アオイスタジオのTさんが、会場入り口で待っている。
日立市の担当の方々、皆さまでお出迎え。
当然、やる気テンションは上がっていく。

さらに楽屋には、手作りこんにゃく手作り味噌、野菜がごろごろ入った
手作りうどんを届けてくださった。
 
 
110201

 
もうこうなったらいい演奏するしかない。

Tさんの段取り仕切りは、いつもパーフェクト。
私は演奏のことだけ考えていればいい。
今日は講演会ということ。
舞台上の吊り看板も「文化講演会」となっている。
 
 
110202
 
 
しかし、開演前の会長さん理事長さんのご挨拶では、「今日の津軽三味線コンサートを
楽しみにしていました。」
「津軽三味線の演奏会を堪能してください。」とかおっしゃっている。
 
ど、どうしよう。
今日は講演会なの?
演奏会なの?

ええい!
休憩までの前半はお話し中心に。
後半は演奏中心にするぞ!
舞台に上がる刹那に決心。
 
一生懸命のお話しと演奏。
前半は、皆さん真剣に私のお話しを聞いてくださった。
 
 
110203


後半の演奏では大盛り上がり。
皆さんの楽しそうな笑顔、本当にうれしい。
 

110204
 
 
110205
  
  
帰路はTさんと二人。
車中、久々にゆっくり話しながら帰る。
Tさんは忙しい。
ほとんど休日がない。でもお客さまの喜んでいる顔を見るのが楽しみ。
ただそれだけでがんばっているとのこと。

お客さまのよろこびのためにがんばっている人が、ここにもいた。
舞台で演奏しているのは私一人ではないのだと思った。

|

2013年10月19日 (土)

『銚子読売コンサート。』

銚子読売ホールでのコンサートはもう十数年以上も前から
何度もさせていただいた。

今日も2回公演、昼の部夜の部とも会場いっぱいのお客様。
いつも変わらない銚子のお客様、暖かい拍手がうれしい。
 
 
101901
 

前回の銚子読売コンサートは、四年前。
通芳が、「この演奏の後、神戸に向かいます。明日、神戸の
津軽三味線大会に出場します。」と話すと。
お客様の「がんばれよー!」「銚子から応援してるよー!!」の声援。
演奏を終えると通芳はそのまま夜行バスで、
神戸の津軽三味線大会に向かったのだ。

今日の演奏の間で、その時の話しする。
「四年前、皆さまの応援のおかげで、その神戸大会では
通芳は一位優勝をいただくことが出来ました。」
またまた暖かい大声援と拍手。
本当にありがたく、二人で深く頭を下げる。

四年前のあの頃、私は関節の激痛が長らく収まらず、
強い鎮痛剤を飲みながら演奏を続けていた。
演奏前夜も激痛のために、一晩中眠れなかったことを思い出した。
その時の強烈な痛みと不安な気持ち。

それを思うと私は今、なんてしあわせなんだろうか。

好きな津軽三味線を思いっきり、一生懸命演奏出来るしあわせ。
その演奏でお客様の笑顔が見れる、しあわせ。
 
  
101902
 

そして通芳と共に演奏出来る、しあわせ。

 101903


|

2013年10月 3日 (木)

「福島県学校公演。」

川崎での8日間のイベントから数えて、今日で11日間演奏が続いている。
タブラの吉見さんのツアーで鍛えられたとはいえ、さすがにつらい。
『こんなに演奏が続いて、きっといまに弾けなくなる。』とは思わずに。
『こんなにたくさん弾き続けたら、三味線上手くなるぞぉ。』と思うようにしたら、
不思議と続いている。
演奏も上手くなってきたような気がしてきた。

福島県文化センターが行う小中学校での学校公演事業に、
一昨年から参加させていただいている。
今年は4日連続の日程。
今日は三日目、郡山市の中学校での演奏。
今日の体育館は反響がすごい。
サウンドチェックすると、パンパンパンと三味線の音が大音量で反ってくる。
福島文化センターの斉藤さんと二人で、カーテンを閉めたりスピーカーの位置を
変えてみたり、いろいろ工夫をしたが、やっぱりすごい反響音。
仕方ないのでとにかく客席の音は斉藤さんに任せて、私は演奏に集中することにした。

演奏が始まると、
「あれ?」
「いい音じゃないか。」
不思議。
サウンドチェックの時とちがい、自然なあまい音色。
反響音も少なくなってる。
演奏終了後斉藤さんに、「どうやったんですか。」と聞くと。
私に向けたモニタースピーカー以外、全部音響装置を切ったそうだ。
朝から一人で重い機材を運んでセッティングしてサウンドチェックして。
そんなに苦労したのに音響を切ったなんて。
いくらその方がいい音だからといって。
なかなか出来ないことだ。
より良い音の為にはなんでもしようというその想いに、職人を感じた。

今日の中学生達は集中力を持って真剣に聞いてくれた。
よく聞いてくれると三味線の歴史や解説、お話しもうまくいく。
そして最後は思いっきり盛り上がって、生徒達はみんな笑顔。
喜んでもらえた。
斉藤さんのおかげ。

さぁあともう一日。
演奏を聞いてくれる明日の生徒達の笑顔の為に、最善を尽くそう。

|

2012年11月12日 (月)

『長野へ。』

早朝、いわき駅から「スーパーひたち」に乗る。
行き止まり式の上野駅地平ホームに到着。とても懐かしい。
新幹線が出来る前は、いつもこの上野駅地平ホームから
夜行列車で弘前に向かった。

通芳と合流。
新幹線で長野へ。
長いトンネルを抜けて軽井沢駅を過ぎると、浅間山がきれいに見えた。

111201


長野駅前のホテルにチエックインしてから、通芳と善光寺に。
お戒檀巡りをする。
本堂の脇から真っ暗な地下に入り、ご本尊さまの錠前に触れることが出来れば、ご本尊さまと結縁することが出来、幸福になれるという。

111202

階段を降りて右に曲がると真っ暗になる。
私が先に暗闇に入る。
真の暗闇。
目を開けても閉じても、暗黒の世界。
後ろから来る通芳が、やたら「うわっ!真っ暗だ。真っ暗だ。」と言ってる。
やっぱり恐いのかな?と思うと、可笑しくなる。
何度かコの字に曲がる。
前の方で金具をガシャガシャしている音が聞こえる。
前の人が極楽の錠前を見つけたのか。
進んで行っても、なかなか錠前に触れられない。
「もう錠前の前をを過ぎてしまったのか?」
と思っていたら。
「あった、あった。」
錠前をガシャガシャしていると。通芳が後ろからドンとぶつかってきた。
通芳にそっと錠前を触らせる。
私がもう明るいところに出ているのに、通芳はまだ錠前をガシャガシャしていた。
よほどうれしかったのか。

寿司屋で一杯。
その後夜の長野の街を、二人で彷徨する。
通芳の関心はもっぱら、古本屋のマンガとCD。

街角に、イギリスの二階建てバスが、そのまま食べ物屋になっているお店があった。

111203

通芳はその前で、ずっとメニューを見ている。
『この店に入りたいの?』と聞くと、首を横に振る。
なーんだ。
中学生の頃とぜんぜん変わってない。
『入るよ。』
私が先にバスのお店に入って行った。
二階に昇ると、バスはゆらゆら揺れる。
お客は、私たちしか居ない。

男二人で、大盛りパフェを食べた。

111204

|

2012年10月21日 (日)

『大船渡』

東北新幹線水沢江刺駅からお迎えのバスで、大船渡市リアスホールに向かう。
色づき始めた山々に、分け入るように右へ左へ山道を登る。
たくさんの復興工事のトラックと行き合う。
やがて峠をこえ、道を下りると大船渡の街並み。
一時間半でリアスホールに到着。楽屋入り。
大ホールのサウンドチェック。柔らかくてとてもいい音色だ。

よし!
明日は大船渡市の皆様の幸せを祈って、一生懸命の演奏をする。
ホテルへ、スタッフの方に車で送っていただく。
ホールから海沿いの街に入ると、景色が一変した。
見渡すかぎり何も無い。
所々ぽつんと鉄筋の建物が残っているだけで、あとは一面の原っぱ。
鉄道線路も草ぼうぼう。踏み切りは無くなっていた。
震災後1年半以上たっても、復興は何も手がつけられていないみたいに見える。
大きなスーパーの廃墟。
このスーパーの業務用エレベーターの中から、先週遺体が見つかったとのこと。
『何も、こんなすざましいところを通らなくてもいいじゃないか。』と、
思っていたら、そのスーパーの廃墟のすぐ隣が今夜のホテル。
ホテルには、復興工事の作業員らしい方ばかり泊まっている。
みんな頑張ってる。

翌日は昼前に野外のイベント会場で演奏。その後は大ホールで。
一生懸命の演奏。
皆さん、たくさんの拍手をくれた。
『やーやどー』の掛け声も、大きな声でかけてくれた。
でも、やはり何となく元気が。
そりゃあそうだ。
あんなすざましいめにあったのだから。

『私には何にも出来ない。私には何にも出来ない。』そういう声が耳元で聞こえる。
仕方がない。
『もうどうなってもいい!』
ただただ思いっきり、バチを三味線に叩きつけた。

| | コメント (0)

2012年10月19日 (金)

『三日と続かず。』

今、通芳と東北新幹線で福島に向かっている。
芸術音楽の秋。 ここのところ演奏が続いている。
おとといまで二日間帝国ホテルで演奏。
昨日は武蔵野公会堂。
明日からは大船渡市で演奏がある。

私が30才ぐらいの時、ある歌謡曲歌手のコンサートにゲスト出演した。
その時に、歌手の楽屋に訪れていた高名な占い師に言葉をかけられた。

「あなたの名前の運勢は、凶です。仕事も趣味も三日続かず、
同じことを続けられないという運勢です。」
たしか私の名前は、父親が命名画数の本を見ながら、
2週間考えに考えて付けた最強の名前のはずだ。
もしかして父親が、字の画数を数え間違えたのか?
たしかに私は学生の頃アルバイトをしても、三日まではとても調子がいい。
雇い主からもお客さまからも評判がいいし、自分も楽しい。
だが三日を過ぎると駄目だった。
同じことをすることがつまらなくなり気力が萎え、無理をして続けると高熱が出た。
私は三味線を弾いて、今年で44年めになる。
何故三味線は続けていけるのか?
演奏する会場や土地柄、お客さまやスタッフが、ほとんど毎日変わっていく
からなのだろうか。
若い時に芝居の仕事をした時があった。
毎日同じ会場に行き、同じ出演者の中で、同じきっかけで同じ曲を演奏した。
やはり三日を過ぎると、つらかった。

占い師は「あなたは細い針の穴を通すような、繊細で鋭い感性を持っています。」
とも言った。
私はきっとこれからも、毎日毎日違う土地を旅し、私の持つ感性を生かしながら
三味線を演奏していく。

これも父親がくれた、一つの運命なのだろうか。

| | コメント (0)

2012年9月24日 (月)

『さすらいの街、邂逅。』

夜の闇の中、私は薄暗いアーケードの中で佇んでいる。
街の灯りが、夜霧にけむるように目にしみる。
やがて闇の中から、次男が近づいて来た。
次男は私の顔を見ると、無言で先に歩きはじめる。
大きな月も霞んでいる。

ここは大阪難波の雑踏の中。
次男は今月一ヶ月、大阪松竹座勘九郎さんの襲名披露に出演していた。
私もライブと講習会で、大阪に来ていたのだ。
「つるとんたん」に行った。すごい待ち時間。
次男の行きつけのお好み焼き屋はお休み。
難波の街は、たくさんの人ごみ。
その中を黙々と二人、入れる店をさがして歩く。

閉店間際だが、小さなお好み焼き屋を見つけた。
ウーロン茶で乾杯。
異郷の地で久し振りに見る次男の顔は、まるで別人のように大人びていた。
お好み焼きと明石焼きを、二人で食べる。

お好み焼きを焼いてくれたおばさんが、マヨネーズでお好み焼きに絵を書いてくれた。

次男のお好み焼きにはスヌーピー。
092401

私には通天閣。
092402


待ち合わせたアーケードの下で別れる。
次男は振り返らずに歩いて行く。
次男の姿はしだいに闇の中に溶け込み、やがて見えなくなった。

| | コメント (0)

2012年8月15日 (水)

『芳垣安洋さんとのライブ』

芳垣安洋さんと太田恵資さんと三人で音金ライブ。
芳垣安洋さんとは本当に久方ぶりの演奏。
お盆だというのに、お客さまは開演前からたくさんご来場、
お客さまのざわめき。

開演一曲めは、私のソロ演奏。
最初から気持ちが入る。

二曲めから三人の演奏。
芳垣さんのパーカッションの生音が、すごい音圧で胸に響く。心が揺れる。
太田さんのヴァイオリンで色づけられた空間を、芳垣さんのリズムが刻んでゆく。
もうなんだか意識が遠のく。時間の感覚が無くなる。もうどうなってもいい。
曲が終わると、鳴り止まない拍手で我に帰る。

30年前のときめいた、あの感覚を思い出す。
まだ関西在住だった芳垣さんと、ベースの沢田さんの三人で、
『佐藤通弘スーパーユニット』と称して東京横浜、関西のライブハウズをまわった。
津軽三味線という既成観念に囚われず、心におもむくままに音を繰り出す。
その時に得られる、何ものにも囚われね自由な解放感に酔いしれた。
そうだ、この感覚だ。ライブ演奏一回一回が、この感覚だった。
音楽は心を解き放ち、自由を得ることだなんだ。
もう、何も恐いものは無かった。


081500


曲間のMCで、芳垣さんと30年前のスーパーユニットの話しをする。
長い年月を経ても変わらないスピリッツを、お互い感じていた。
私が長い間三味線演奏を続けているうちに、忘れかけていたこの感覚。
思い出させてもらった一夜だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年1月14日 (土)

『いわき三味線塾おさらい会。』

今日はいわきで津軽三味線塾の生徒さん方のささやかなおさらい会。
いわきの津軽三味線塾は3年前、永年いわきで年二回コンサートを
主宰し続けている新妻先生が、三味線未経験者を半年間の講習で、
そのコンサートの舞台に出すという試みから始まった。

三味線を触ったことも無い初心者の方々が、僅か半年間の奮闘で
コンサートの舞台に立てた時には、感動的だった。
その後三味線塾は続いている。
このおさらい会が三味線塾の皆さんの目標になれば、そして見に
来てくださる、いわきの方々の元気になればと、おさらい会を企画した。

朝早く千葉を出発。
いつもお稽古をしている、いわきの集会所のような会館。
みんなでお客さまの椅子を並べる。こんなにたくさんお客さまは
来てくださるだろうか。
たとえお客さまが一人だとしても、みんな着物姿に衿を正し、
一生懸命演奏する約束。
私も黒紋付き袴。

開場時間になる。
なにか、玄関あたりが騒がしい。
会場の入り口を開けると、たくさんのお客さまが入っていらした。
並べた椅子はすぐにうまってしまった。
私はうれしくて、わくわくしてきた。
それにひきかえ塾の皆さんの顔色は、緊張で蒼くなる。
三味線塾の皆さんの弾ける曲は、すべて演奏する。
そして東京と千葉からお手伝いに来た私のお弟子さんの演奏。
みんな程の良い緊張感。

私は津軽三下り、荷方節の独奏。そしてお弟子さん方とじょんから節の合奏。
盛り上がった!
お客さま達の拍手と歓声。
よかった。
みんなに喜んで貰えた。
自然とあちこちで、記念写真撮影が始まる。
最後に全員で撮った。
いわきでのささやかなおさらい会は、大きな歓びのうちに終わった。

011400_4

| | コメント (0)

2011年12月31日 (土)

『いとこ。』

ピンポーンピンポーン。
玄関のインターフォンが、鳴るか鳴り終わるかのうちに、
勝手にどしどし入って来て私の枕元に座った。

『足は痛いの?』と、いつもの愛嬌のある顔で聞いてきた。
『痛いから寝てるんだよ。』と、少し頬を膨らませた。
私はまた足がはれてきて、もう年の瀬だというのに、
寝床から空ばかり見ている。

彼は私のいとこ。
私がもの心つく頃から、盆と暮れには必ず見る顔だ

昔私は、盆と暮れには必ず、福島県田村郡にある親の実家に行っていた。

小学低学年頃。
夜遅く福島に着いて、翌朝私はいつまでも眠っていた。
朝早く彼は私が来たことを知ると、村のおもちゃ屋で私の好きな潜水艦の
プラモデルを買って、急いで潜水艦を完成させた。
それを持って私のところに来たのだが、『起こしたらだめだぞ。』と、
おばあちゃんに怒られて。
枕元でずっと静かに、私が起きるのを待っている。
お昼近く私がその気配に、ふと目を覚ますと。
目の前には完成した潜水艦と、あの愛嬌のある笑顔があった。


『秘密基地に連れてってあげる。』と、実家の裏山に入って行った。
『ここは、親にも兄弟にも、誰にも言ってはいけない秘密の基地だからね。』
木の枝で作った屋根。ちゃんと藁もかけられている。
私はとてもわくわくしてきた。
早速彼に、お菓子とジュース。面白い本を持ってくるように言った。
彼の方が一つ年上なのに、私はいつも威張っている。
それから二人でお菓子とジュースを飲みながら、彼のお兄さんのえろ本を堪能した。
『よし、これからタバコを吸うぞ。タバコを持って来て。』
実家ではタバコの栽培をしていた。その干しているタバコの葉を密かに、
彼に持って来てもらう。
タバコの葉をくるくる巻く。これは本物の葉巻だ。
火をつけて吹かす。
か、からい!
なんだこりゃ?
もう一度吹かしてみる。
うわっ!
今度は頭がぐらぐらしてきた。
気持ち悪い。こりゃ大変だ。
ふらふらしながら、すぐ帰った。
しばらくご飯が食べれなかった。
おばあちゃんが、『どうしたの。どうしたの。』と、蒼い顔をしている私に聞いてきた。
何も答えることは出来なかった。
その時私は、生涯の禁煙を誓った。

私は彼をいじめたことがある。
内容は覚えていない。
彼はブランコで一人泣いていた。

私は納得のいかないことには、親やおばあちゃんの言うことでも
頑として聞かない子供だった。
叱られてわんわん泣いた。
そうゆう時彼は、側に来て、私の肩に手を置き一緒に泣くのだった。

小学生高学年の時、二人で蒸気機関車の写真を撮りに、
列車で会津坂下に行った。
会津坂下駅近くの踏切でカメラを構える。
いよいよ蒸気機関車がやって来た。
私は夢中で写真を撮った。
どうゆう訳か、撮っているその機関車の方から
『みっちゃん!みっちゃん!』と、必死に私を呼ぶ声がする。
彼は私の財布と切符を持ったまま、その蒸気機関車の列車で帰ってしまったのだ。
私は、そこから歩いて帰ろうとそのあたりを彷徨しているうちに、
親切なおじさんに助けられた。
お金を貰って、切符を買った。

彼はカメラマンになった。
一流のカメラマンの助手として、十数年修業した後、独立をした。
恵比寿の駅前に個人事務所を構え、年収何千万円稼ぎ出し。
嫁さんも貰い、順風満帆の人生だった。
私とお互いの海外の仕事でニューヨークで落ち合い、ステーキ食べた。
ところがバブルがはじけると、まったく仕事がなくなった。
そして彼は石工になった。
石工の技を磨き続けた。
私の親父の眠る墓石も、彼の作品だ。
今は職人の風格さえ感じさせる風貌になった。

その長い長い年月の中に、どれだけの二人の盆と暮れが、あったのだろうか。

年の瀬だというのに、今日も空が青い。
『また、カメラを始めようと思っているんだ。』と言うから。
『思っているだけじゃあだめだろ。始めなきゃ。』と、言ってやった。
彼の方が一つ年上なのに、私はいつも威張っている。
『じゃあまたおいで。』そう言って私は、また空を眺める。
彼は帰って行った。

『来年のお盆に、また会おう。』
私の心の中で呟いていた。

終わり。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧