2008年5月12日 (月)

「久方ぶりの栃尾又温泉」

二年ぶりに栃尾又温泉を訪れました。

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(湯治場の趣栃尾又温泉旧館)

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(栃尾又温泉渓谷の浴舎)

私がこの温泉を初めて訪ねたのは、もう十数年前にもなります。
その年は、サクスホンの坂田明さんのミジンコ空挺楽団のメンバー
として、中国やモンゴルなどの国々を何ヵ月も演奏して回るはず
でした。
ところが一国めの中国北京公演の時に具合が悪くなり、私は
北京公演だけで帰国することになってしまいました。
その頃の私は体の調子が悪いことが多く、「ああ、今日は演奏が
出来た。でも明日は出来るのだろうか?」と、毎回毎回の演奏を
するのがやっとという状態でした。
この途中帰国という最悪の事態に、坂田さんや他のメンバーの
皆さんに対して申し訳ないという気持ちと、音楽家としてこんな体で
やっていけるのかと、体の具合もさることながら気持ちがとても
落ち込んでしまいました。

帰国してそのまま家で落ち込んでいるよりも、一人でどこかに行こうと
思いました。その時思い出したのがこの栃尾又温泉でした。
以前より、尺八奏者の木津竹嶺先生から栃尾又温泉の素晴らしさを
伺っておりました。
栃尾又温泉は日本でも有数のラジウム温泉です。ラジウムから出る
放射線は、体の細胞を刺激し活性化していきます。
だからお湯に入らなくても、この土地に来るだけでも体が良くなるんだと、
竹嶺先生がよくおっしゃっていました。

私は一人で一週間、この栃尾又温泉に滞在しました。
毎日毎日、午前、午後、夜と、温泉に浸かりました。湯温はほぼ体温と
同じ、お湯に浸かるとまるで母親の胎内にいるよう。
ひとりでに体が胎児のように丸くなり、心が落ち着いていくのがわかります。
他の湯治客も、お湯に入るとじっと無言で微動だにしません。ただただ
温泉に入って、ご飯を食べて寝ての繰り返し。お湯に浸かりながら青い空を
流れゆく雲、浴舎の対岸のブナの林、ふわりふわりと空を舞うように散る
落ち葉を、浴槽の大きな窓から眺めていました。

すると四日めくらいから、魂の奥底からむくむくと沸き上がるように
『三味線が弾きたい。』という気持ちが湧いて来ました。
『そうだ。体の具合がどうなっても、一回でも二回でも演奏が出来れば
それでいいじゃないか。私は演奏する為に生かされているんだから。』
そう思うことが出来るようになりました。
もう早く帰って三味線が弾きたくて仕方がありません。
栃尾又温泉に来た時は下を向いて歩いて来たのに、帰りは力が
みなぎっているようでした。

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(栃尾又温泉子持杉)

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(栃尾又温泉夫婦欅)

今も、キラキラと新緑にかがやくお湯に浸かりながら、あの頃のことを
思い出します。

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2007年12月 5日 (水)

「北帰行(その一)」

今日は私の芸のふるさと弘前に、久方ぶりの里帰りです。
私の芸の親である師匠の墓参りと、ママさんの顔を見に行きます。

上野駅地平ホームから、寝台特急「あけぼの」号での北帰行。

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弘前に行く夜行列車の旅には、様々な思いが交錯します。
上野駅を出る時は、夜行列車が出発するる時の哀愁を帯びた寂しさ。
やがて列車が走り出すと、わくわくする旅の楽しさ。
そして朝、弘前に近づくとこれから師匠に会える嬉しさと不安。

長いような短いような、12時間の旅です。

列車は上野駅をしずしずと動き出しました。
鶯谷のネオンの向こうに、オリオン座がかすかに見えます。
次は大宮駅に停車です。大宮駅のホームには、お勤め帰りの
お客さんが大勢並んでいました。
寝台車の中でくつろいでいる私と目が合ってしまうと、お互い目を
そらしてしまいます。
大宮駅を出ると、少しずつ街の灯りが少なくなり、空の星が輝きを
増していきます。
窓の右上にはオリオン座、左上には北斗七星。

高崎駅を過ぎるともう街の灯りはまったく無くなり、窓から見えるのは
星のまたたきと、うっすら浮かび上がる遠い山々のシルエットだけです。

長い長いループトンネルを抜けると、一面の雪景色。
寝台車の窓は次々に変わる風景画の額縁です。寝台に腹這いに
なって窓に額を寄せながら夜の景色を眺めていると、なかなか
寝ることが出来ません。

水上駅を過ぎ新津駅を過ぎた頃から記憶が無くなりました。

明るい日差しの中、ふと目を覚ましました。
車内はしーんと静まりかえっています。列車の揺れも走行音もしません。

窓の外を見ると鉛色の空の下、日本海の荒波が打ち寄せています。
強風が原生林の木々を揺らし、電線がうなり声をあげています。
駅でも無いそんなところに、列車はぽつんと停まっているのです。

強風のため列車の運転を見合せ、と放送が入りました。
ふつう列車が駅の途中で停まってしまったら、とても不安に思うものです。
でも今は違います。寝台車に乗っているのです。浴衣姿で寝そべって
いればいいのです。水も食料もあるし、トイレもある。
何時間停まっていても大丈夫。『このままここで、いつまでもいつまでも
停まっているのかなぁ。』と思ったら、かえってわくわくして来ました。

やがて列車は時速15キロの徐行運転で動き出しました。
日本海の荒波や強風に揺らぐ林や、長い鉄橋をゆっくりゆっくりと。
小さな町の小学校に登校する子供達は、『おはよう。』と声を掛け合って
いるのが聞こえるようです。無人駅を通過すると、女子高生がホームの
待合室にすし詰め。浴衣姿で外を見ている私を指差して笑っています。
また眠ることが出来なくなりました。

弘前駅には、一時間半遅れでの到着。
寝ぼけまなこの通芳が、改札口に来ているでしょうか。

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2007年11月15日 (木)

「広島にて。」

昨日、茅ヶ崎市民会館で高校生を対象にした学校公演を終えて、
そのまま東京駅から広島に入りました。

朝、目を覚まし、ホテルの窓から空を眺めると抜けるような青空。
宮島のあなご飯弁当を買いに行くことにしました。
広島駅から電車で30分弱。宮島口駅に着きます。あなご飯弁当は
宮島口駅の駅弁なのですが、駅ではなかなか手に入りません。
駅から少し歩いて弁当屋さんへ買いに行きます。
ところが弁当屋さんの前はすごい人。あなご飯弁当は予約しても、
今から二時間後だそうです。

予約をしてから、日本で唯一残った鉄道連絡船に乗って宮島へ。
宮島は折しも紅葉の季節とあって、すごい人。
かつて、連合艦隊司令長官山本五十六が愛人と密かに逗留した
『岩惣』も、観光客でいっぱいでお茶も飲めません。
人は多くても、もみじ谷のもみじは素晴らしかったです。

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今夜は『広島オーティス』でのライブ。
もう何年続いているのでしょう、年1、2回の『オーティス』でのライブ。
今夜もマスターの佐伯さんをうならせる演奏をしなければ。

佐伯さんに、「今回の演奏も素晴らしかったです。」と言われたいのです。

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2007年6月14日 (木)

「土佐へ」

今日は土佐の高知に行きます。
行路は、列車で東海道、備讃瀬戸大橋、そして讃岐から
祖谷挟をたどり土佐の高知に至ります。
岡山駅で新幹線を降り、高知行きの特急「南風」号に乗り換えます。
「なんぷう」号という、なんといい響きでしょう。

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「南国土佐に運んでくれる南の風」。

南風号は岡山駅を出発してしばらくすると、瀬戸大橋を渡ります。
私の乗った南の風は低空飛行する飛行機のように、瀬戸内海の
島々の上を飛んで行きます。
金比羅さんで有名な琴平駅を出ると、山間地帯へと進んで行きます。
やがて祖谷渓谷にさしかかり、南風号は祖谷挟を望む切り立った崖の
上を、渓谷に沿って右に左に走ります。
車窓から下を見ると深い渓谷、上を見ると高い山。
山々は渓谷に迫り、頂きははるかに高く、首が痛くなりそうです。

祖谷渓谷を過ぎると、列車はまるで細い山道をたどるように、
左右が草木の山林の間をゆっくりと登って行きます。
登りきったところで、古くて小さな煉瓦作りのトンネルに入りました。
すると、さぁーと草木が湿ったようなかおりの風が車内に吹き込んで
きました。車内が深い緑に染まったようでした。
真っ暗なトンネル中を、ごぉーという風の音をたてて突き進んで行きます。
それは長い長い時間でした。
車内の草木の湿ったかおりはますます強まり、まるでタイムトンネルに
入ってしまい、古い時代の昔の空気が入って来たような、そんな気が
しました。
御免(ごめん)という、変わった名前の駅を出ると、まもなく高知駅に
到着です。
明日からの演奏会を主催して下さるご夫婦が、高知駅までお迎えに
来て下さいました。

夜の食事を終えホテルの部屋に帰ると、「父死す。」との報が届きました。

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2007年3月11日 (日)

「不思議な朝の風景。」

昨夜遅くにチェックインした広島の空港ホテル。
朝、目を覚まし窓のカーテンを開けると、窓の外には思っても
みなかった風景がひろがっていました。
ホテルの前には、池あり林あり築山ありの英国式のような
広々とした庭園があったのでした。

通芳を電話で起こし、ロビー階のレストランへ。
庭園を眺められる大きな窓際の席で朝食。
窓の外には空の青と、それに映える庭園の明るい緑がいっぱいに
ひろがっていました。するとそこに突然、空から白い物がゆっくりと、
はらはらと音もなく降ってきました。
青空から白い雪が。この不思議な光景に、二人無言でみとれていました。
その間、音も時間も止まってしまったように感じました。

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「父の気持ち。」

お昼に広島空港を飛び立った飛行機は無事羽田空港に着き、
そのまま弘前に行く通芳を見送る為に東京駅に行きました。
東京駅地下街を、通芳の弁当を探して彷徨する。
通芳はなかなか買うものが決まらない。結局イタリアンレストランの
テイクアウトと、チャイニーズレストランの杏仁豆腐を買ってあげる。

通芳は小さい声で「ありがとう。」。

ホームに行くと、もうすでに通芳の乗る列車は入っていて、
そのまま乗り込む。通芳の席はC席、三列座席の通路側。
通芳はお弁当のイタリアン料理と杏仁豆腐を膝の上にのせている。
窓際のA席には若い男の人が座っている。
今日は満席のこの列車、通芳の隣のB席の乗客はどんな人が
来るのだろうか。通芳は列車がどのあたりに行ったら、イタリアン
料理と杏仁豆腐を食べるのだろうか。満席の狭い普通車の座席で、
この豪勢なデザート付きのお弁当は食べづらいんじゃないだろうか。
などと、私はいろんなことを考えていました。

発車まであと5分。

通芳は、私がホームにいることがわかっているのかいないのか、
私の方をちらっとも見ない。やがて発車時間。
発車ベルが鳴りドアが閉まり、列車は動きはじめました。
私の視界から通芳が消えてしまう直前、通芳はほんの少し私を見た。

『なーんだ。通芳は私がここにいたのを知っていたのか。』。

吸い込まれて行くように遠ざかる、列車の赤いテールランプ。
その時、すごい勢いで過去の情景が甦りました。
セピア色の上野駅のホーム。列車の窓の外に佇む父。
一人列車に乗っている小学校三年の私。私の初めての一人旅。
私の膝の上には、父の買ってくれたお弁当とみかん。
それを何か心配そうに見るている父。
私は、隣や前の席の人達に気恥ずかしくて、父の方を少しも見なかった。
列車が動き出した時に、私は父を見た。
その時の父の顔は、切ないような哀しいような、なんとも言えないような
顔をしていました。

私はその時、『なんでお父さんはそんな顔をするんだろうか。』と、思っていました。

40年経った今、その時の父の気持ちが初めてわかったような、気がしたのでした。

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2007年3月10日 (土)

「広島県世羅町」

今日は広島県、世羅町のせらにしタウンセンターでの演奏です。
久方ぶりに通芳と二人の演奏会です。広島空港をおりましたらお迎えを受けて
車で約50分、山中のアップダウンを繰り返す山道を行きます。

私は30年近く前からの花粉症で、この季節はマスクを離せません。
車の外を見れば、杉や松の木がそれこそ山を覆うようにはえています。
一瞬「うわぁ。」と思いましたが、そういえば飛行機を降りてからくしゃみを
一度もしません。不思議不思議。
やはり花粉症には、花粉だけが悪いのではなく。花粉と、排気ガスなどの
有害物質が結びついて花粉症を引き起こすのだという話しは本当なのかなぁ、
と思いました。

山中の道はやがて山里という風景になりました。田や畑の中に、茅葺き屋根の
家が点在しています。日本の原風景という風情です。空港から一度も町を通らず
にそのまま、せらにしタウンセンターに着きました。

ホールは新しく近代的で素晴らしいホールでしたが、お客様方は素朴でとても
純真な感じがしました。演奏中も、ほんの少しの演奏の起伏に対しても
「わぁー!」というような反応をして下さる。曲間の話しにも暖かい拍手をいただける。
演奏している私どもの方が、心が暖かいもので満たされて行く、という気が致しました。

終演後は空港ホテルまで車で送っていただきました。帰りの山道は月も星も無い、
真っ暗な魑魅魍魎の出現しそうな風情。ヘッドライトにさっと小さな影がよぎります。
月の無い晩には、よく狸が車にひかれるそうです。
夜はお腹がすいて通芳と二人、ホテルのお部屋でコンビニで買った物を食べました。
通芳はむしゃむしゃと、食べること食べること。

もーちょっと、腹も身の内ということも考えたらいいのに。

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2007年2月25日 (日)

「帰り道」

演奏地からの帰り道は、なかなか楽しいものです。
昨日松山市での演奏を終え、今日は松山から東京まで帰ります。
松山駅の名物弁当、「醤油めし」を購入して、特急しおかぜ号に乗りました。

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私の乗る車両は先頭車、そして一番前の席。

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運転席を通して前の景色もよく見えます。ワクワク。
このしおかぜ号は振り子電車と言って、カーブにさしかかると
電車の車体がカーブの内側に傾きます。それによってカーブでも、
普通の車体の電車よりもスピードを落とさずに走ることが出来ます。
松山駅を出てしばらくすると、左手に瀬戸内海が見えてきます。

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天気も良くて、青く凪いだ海に遠い島も近い島も浮かんで見えます。
海が見えなくなると、しおかぜ号は山の中や田んぼの中を走ります。
細々とした単線の線路は田んぼと同じ高さにあり、田んぼと線路を
隔てる柵も何も無くて、まるで田んぼの中の畦道のような線路。
その線路のすぐ隣の田んぼでは、おじいさんが農作業をしていたり
します。そこを最高時速130キロで突っ走ります。
そしてカーブにさしかかると、早いスピードのまま車体をぐぐっッと
傾けながらカーブに突っ込みます。
線路のすぐそばに建っている家の軒先を、ギリギリにかすめるように
走り抜けたりします。
危なっかしくて、はらはらドキドキ。スリル満点。
しおかぜ号はまるでジェットコースターみたいです。

やがて多度津、丸亀と、大きな街並みに入ると線路も複線高架になり、
しおかぜ号のジェットコースターは終わりです。
宇多津駅を出ると瀬戸大橋を渡ります。瀬戸内海の空を低空飛行する
みたいな眺め。瀬戸内海を一望です。まもなく岡山駅に到着。
これでしおかぜ号の旅は終わりです。

あとは乗り慣れた新幹線で、居眠りしながら帰りましょう。

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2007年2月22日 (木)

「松山に来ました。」

松山に来ました。
今日は飛行機ではなく、私の好きな鉄道で東京から来たので、私はご機嫌です。

ホテルに入った後、主催の方々とホテルでお食事をしました。
私の泊めていただくホテルは道後温泉の中にあり、なかなか洒落たホテルです。
主催の方々と二年ぶりにお会いして、フランス料理とワインで盛り上がりました。

深夜に一人で水を買いに、道後温泉本館のそばのコンビニに行きました。
道後温泉本館はライトアップされて、とても幻想的でした。

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道後温泉本館は明治時代の建造、木造三層楼。国の重要文化財に
指定されています。
裸で入れる唯一の重要文化財と、言われているそうです。
私はこの幻想的な雰囲気の中で、一人でひたっていますと。
年配の女性が、「どこから来たの?」とか、「これから何処へ行くの?」
とか聞いてきます。
私は「千葉から来ました。」とか、「これからホテルに帰ります。」
とか答えました。
少し歩くと、また別の年配の女性が、「もうホテル帰っちゃうの?」と
聞いてきます。(道後温泉のあたりには、なんて親切な人が多いん
だろうか。)と、思いました。
ホテルに帰り、この事をフロントの方に言いますと。微笑しながら、
「それは風俗の客引きのおばさんです。」とおっしゃいました。

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2006年11月25日 (土)

「富山地方鉄道」

今日は富山県魚津市の酒蔵での演奏です。
今まで時刻表だけでしか見たことがない、富山地方鉄道という
富山県の私鉄に私は前から乗ってみたかったのです。
富山駅にお迎えが来て下さることになっていますので、JRの特急を
魚津駅で降りて、隣接する新魚津駅から富山駅まで富山地方鉄道
に乗って行くことにしました。

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JRから乗り換えますと、富山地方鉄道の駅は閑散としていて、大変に
お年を召した駅員さんがひとり、のんびりと音量を大きくしたテレビを
見ていました。私も大きな声で電車の時刻を訪ねました。

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新魚津駅から乗るお客さんはお年よりばかり四人。やがて二両編成
の古い電車が、車体を左右にゆらゆら揺らしながら駅に入ってきました。
車掌さんはいない、運転士さんだけのワンマン運転。運転席の後ろに
はバスと同じ、駅ごとに変わる運賃表と運賃箱があります。
田園風景の景色の中を、のんびり走ります。単線の線路がまるで畦道
のように見えます。

駅ごとにお客さんが降りてゆき、とうとう私以外のお客は三人になって
しまいました。三人のお客さんは皆おばあさん。他にあいている席は
たくさんあるのに、仲良くひとつのボックス席のいます。ひとりひとりの
おばあさんは、皆違う駅から乗って来ました。そしてまた違う駅で降りて
行くのです。それなのに電車に乗って来ると、挨拶も無しに一緒におせ
んべを食べたり、お喋りをしたり。
そして「じゃ、行ってらっしゃい。」というように電車を降りて行くんです。
そう、この電車に乗っている私以外の人達は、皆知り合いなんです。
昔、瀬戸内海の小さな家島という島に向かう船でもやはりこのように、
乗客は私以外皆知り合い、ということがありました。でも電車では初め
てのことでした。

今日は北陸地方の11月にしては珍しい、とてもいいお天気。
遠い立山連邦の雪の白さと、澄みきった青い空がとてもきれいです。
田んぼの畦道を歩くように進む電車に揺られて行く。

この時間が、とても貴重なものに思えました。

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2006年11月 5日 (日)

「いわき弁」

今日はいわき市の公立高校での、学校公演。
栃木県大平町から昨夜のうちにいわき市に入り、今朝は早くから学校の
体育館でサウンドチェックです。

今日は、おだやかないいお天気。教室から、かすかに生徒さん達の歌声が
聞こえてきたりします。生徒さん達は、純朴そうな感じの若者達です。
なにか先生と生徒の関係がほのぼのとしていて、とてもいい感じがしました。
この学校は進学校ではないからのんびりしているんだそうです。

この高校の校長先生とは、十数年来のお付き合いをさせていただいております。
話しは変わりますが、校長先生は、映画「フラガール」を見て、映画の中で七回
も泣けたそうです。

そのお話しを伺い、私も「フラガール」を見に行きました。
七回は泣きませんでしたが、私もやはり泣けました。一心に、芸に精進していく
純粋さが、やはり人の心を揺さぶるのでしょうか。
結局、私は二度もこの映画を映画館で見てしまいました。

「フラガール」は、常磐炭坑閉山に向けて、炭坑夫達がリストラされていく中で。
その救済策の一つとして有り余る常磐の温泉を利用して、「常磐ハワイアンセ
ンター」を作る時のお話しです。
映画の中で、ふんだんに福島弁、いわき弁が使われています。
そのいわき弁が、ますます校長先生の涙を誘ったのでしょうか?
私にも主人公の女子高生の方言が、とても好ましく、可愛くうつりました。

私は密かに、この学校公演での生徒さん達とのやりとりの中で、生徒さん達の
いわき弁が聞けることを楽しみにしていたのですが、やはり生徒さん達は方言を
話してくれませんでした。
しかしこの後の打ち上げで、地元の方々のいわき弁を、それこそふんだんに聞く
ことができました。皆さんのお話しを聞いているだけで、なんかほのぼのと楽しく
なってしまいます。

私は福島弁、大好きです。

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2006年11月 3日 (金)

「大安寺柳の蝉の声」

今日は岐阜県の大安寺という、古いお寺でコンサートです。

出演者は私と尺八の田辺頌山さん、太鼓唄の木津茂理さん。
それにすばらしい絵と言葉をお書きになります、作家のひろはまかずとし氏です。

今回のコンサートは、ひろはまかずとし先生のファンの方々によって実現しました。
いつもの私達三人の演奏に加え、ひろはま先生の創作実演と演奏とのコラボレー
ションが行われました。
大安寺は大変古い由緒あるお寺だそうです。私達の控え室にあてて下さったお部
屋には、昔、和尚様が篭ったという、狭い隠れ部屋のような部屋がありました。
茂理さんは、その部屋に篭って着替えをしていました。

私のソロ演奏の後に、木津茂理さんが田名部お島コ節を唄いました。

♪「田名部お島コのー、音頭とる者はー。大安寺柳の蝉の声ー。」

大安寺?私は驚きました。
少し背筋がぞわっとしました。
田名部お島コ節の歌詞の中に、大安寺があったのです。

明日は栃木県大平町、通芳と演奏です。

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2006年10月16日 (月)

「酒遊舘の音の神様」

昨日は滋賀県近江八幡の酒遊舘という、江戸時代から続く蔵本の蔵をそのまま
ホールにした、という空間で演奏をさせていただきました。

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私はこちらで年に一度、秋に演奏させていただいて今年で13年目です。
毎年この酒遊舘で演奏するこを楽しみしています。この空間は、江戸時代からの
蔵という、年月を重ねた古い建物です。このような古い建物には、その場所その
場所独特の味わい深い音があるのです。酒遊舘の音は、音の余韻が丸く延びて、
私にはとても色めかしく感じられるのです。
いつも酒遊舘に来る時は、早めに会場入りをして、二時間も三時間も三味線を
弾いてその音を楽しみます。ですから、本番開演の時にはもうすでに演奏を終え
た後のような気分になってしまっていたりします。

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昔からお酒を造る時には、酵母菌が発酵して・・・というようには考えず、ひとつ
ひとつの蔵のそれぞれ神様がいて、それぞれの味わいのあるお酒が出来る、と
考えたそうです。
演奏する音にもやはり、それぞれの空間に音の神様がいて、それぞれの味わい
のある音が出来るのでしょうか。 私は来年の秋にもきっと、酒遊舘の音の神様に
会いに行くことと思います。近江八幡の古い街並みにはまた風情があります。
酒遊舘はその古い街並みの中にあります。

皆さんも秋の近江八幡を味わいに、そして酒遊舘の音の神様に会いにいらっしゃ
いませんか?

通弘

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2006年9月 5日 (火)

「英国総督邸にて」

12日間のオーストラリア演奏旅行、おかげ様にて、無事に終えて帰国することができました。
今回の演奏旅行もまた、私にとって忘れることのできない旅のひとつとなりました。

その中で印象に残ったのは、英国総督邸にての演奏会でした。
なん百年も前にたてられたという、重厚な煉瓦造りの総督邸は。見晴らしの良い丘の上で、芝生と咲き誇る花の中にありました。私達が大きな車寄せに到着すると、執事がにこやかに出迎えて下さいました。総督邸は建物もお庭もとてもひろく、二階や三階のテラスはまるで映画のセットに出てくる、英国のお屋敷そのものです。演奏者もスタッフも国際交流基金の方々も、みんなで写真を撮りました。私達の演奏は邸内のホールでさせていただきました。お客様は120名くらい。日本の総領事夫妻をはじめとする在ブリスベンの日本の方々と、英国総督をはじめとした英国、オーストラリアの 日豪交流の関係する方々でした。演奏が終わると総督が拍手をしながら立ち上がって下さり、それに続くように他のお客様も立ち上がって下さいました。

演奏の後には、大きなエリザベス女王の肖像画のあるお部屋に招かれ、飲み物をいただきながら総督閣下と懇談させていただきました。暖かいおもてなしの心遣いに、私達は皆感激いたしました。演奏家をしていてよかったなぁ、と思いました。

オーストラリアはまだ形式は英国の植民地です。ですから英国から派遣された英国の総督がいるわけです。そのへんの事情を現地の方に伺ってみました。オーストラリアの現状はもうほとんど独立国です。しかし昔からの大英帝国の一国という形は残している。このままの形を残して大英帝国のなかの一国でいるか、それとも形式的にも完全に独立をするのか、国民投票が行われたそうです。すると僅差で大英帝国の一国にとどまることになったそうです。ただ、むかしながらに英国王室を敬愛するお年よりのような人々がこの先減って、また次回国民投票が行われた時には独立になる可能性が高いそうです。

私はとても感心しました。一つは、国の大きな分かれ道を決める時に、国民投票をして国民に直接に決めさせたこと。そして僅差であったにもかかわらず国民投票の後は整然とその決定に従ったこと。 またもう一つは、少しの戦争も紛争もせずに、ひとりの犠牲者も出さずに独立することが出来るということ。なんて素晴らしいことなんだろう、と思いました。戦争や紛争を起こして、憎しみの連鎖を繰り返すよりも。お互いの尊敬や親しみを持ったまま、お互いを認めあうことが出来る。これは百万の軍隊を持つより力強く国を守ることではないだろうか。と思いました。

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2006年7月 7日 (金)

「さすらいの街」

私は今、札幌駅の駅ビルの中の小さな喫茶店にいます。30分後に出発する
夜行列車で上野に向かいます。窓の外は、買い物客が次から次へと通り過
ぎてゆきます。
とある街でひとり、長くもなく短くもない時間をぼんやり過ごしている時に、ふと
湧きあがる不思議な感覚があります。
「私は何処から来て何処に行くのだろうか。私はいったい誰なんだろう。ここは
何処なんだろうか。」と、なにか訳がわからない感覚におそわれるのです。

昔、大阪に10日あまり滞在していた時、昼間あいている時間に、ぶらぶら大阪
駅の近くを徘徊しました。大阪駅の駅ビルに中をただ意味もなく歩いていると、
階段の途中に小さな扉があります。その扉を中へ入って行くと、狭い通路の両
側に、昭和時代を思わせるような小さな縄のれんの飲み屋や、古い喫茶店など
があります。そしてさらに奥に行くと通路はますます狭くなり、人がひとりやっと
歩けるぐらいの幅になりました。
このまま行けば、「もう二度とこの迷路のような所から抜け出られなくなってしま
うのではないか。」と思いながらも、さらに進むと。やがてまた小さな扉があり、
そこを出ると突然まぶしいくらい広い、駅のコンコースに出るのでした。

とても不思議な場所でした。

まるで筒井康隆のSFの世界です。

私はここを密かに「レトロな未来都市」と呼んでいました。大阪に滞在するたび、
私はこの「レトロな未来都市」をひとり徘徊するのを楽しみにしていました。
ここで私はやはり、ひとり不思議な感覚におそわれるのでした。
根無し草のようにふわふわ漂うような漂泊感。「私は何処から来て何処に行くの
だろうか。私はいったい誰なんだろう。ここは何処なんだろうか。」。

海外演奏旅行の時、ひとりヨーロッパの見知らぬ街をさまよっている時にも、この
ような感覚におそわれることがあります。この不思議な漂泊感。これもまたひとつ
の旅なのでしょうか。

さて、そろそろ夜行列車がホームに入ってくる時間です。重い荷物と三味線を持っ
て、改札口に向かおうと思います。

通弘

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2006年7月 5日 (水)

「大いなる北海道」

一昨日から札幌に来ています。
空港降り立ったとたんに、爽やかな風がサァ~と吹いて。なんと北海道の空気の
清浄なこと。今までいた九州、東京に比べて気温も低いのですが、湿度も低く、
からっと晴れてその気持ちのいいこと。
私の体調も、飛行機を降りたとたんに良くなったような気がしました。

昨日は札幌の郊外にある、西野神社で演奏させていただきました。
作家の植田莫先生が中心になり演奏会を企画して下さいました。植田莫先生は
私のCD「月も凍る夜に」と「東北ロマン」のジャケット絵をお書きになった先生です。

そして今日の会場は、札幌の郊外江別にある、米村牧場のゲストハウスが会場です。
どこまでも続く広大な牧草地の中に米村牧場があります。野幌駅前のコーヒー店の
ご主人と奥さま。米村牧場のご夫妻。地元の婦人会の方々。皆さんで演奏会を
運営して下さいました。どちらも会場いっぱいのお客様。お客様には窮屈な思いを
させてしまいました。でもどのお客様も、とっても暖かいんです。
演奏しているとほのぼのとして、心がぽかぽかしてくるのです。

終演後、皆さんの持ちよりのご馳走で小宴会です。
コーヒー店のご主人は入れたてのコーヒーを。米村さんご夫妻は、しぼりたての暖かい
牛乳と手作りケーキ。他の牧場の奥様は、自分の牧場の牛乳で作ったヨーグルト。
婦人会の方々は今日の夕方にもいだ、とりたてのトマト。などなど。
演奏から打ち上げ会まで、本当に暖かい会でした。
皆さんと、いろいろなお話しをいたしました。北海道人の気質を、ある方が「普段は何気
無く、お互いに深く入り込むこともなく。詮索することもなく。楽しくお付き合いをしてい
る。しかしもし人が困って、助けてほしいことが起こった時には、みんなでさぁーと来て
黙って助けてくれる。それが北海道人の気質です。」とおっしゃっていました。

雄大なる大地。
豊かな食物。
おおらかで、いたわり合い助け合う気質。

大いなる北海道。

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なんか北海道に、移り住みたくなりました。

通弘 http://www.tsugaru-michihiro.com

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2006年6月30日 (金)

「砂蒸し温泉」

昨日から鹿児島におります。
東京は雨と湿気で気持ち悪いお天気だそうですが、こちらは気持ちのいいお天気で、
すっかり夏という感じです。

今日は指宿温泉に連れて来ていただきました。指宿温泉といえば砂蒸し温泉が有名です。砂蒸し温泉とは、地熱で暖められた海岸の砂の中に体を埋められて、体を暖めるものです。体が芯から暖まります。毛穴から汗が吹き出して、身体中の悪いものが汗と一緒にみんな出ていく感じがしました。最高に気持ちが良かったです。

海の青、空の青。雲の白、松のみどり。自然の色が、こんなにきれいなものだとは、毎日の忙しい生活の中で気が付きませんでした。初めて海や空や木々を見たような気がしました。そして地熱といい、砂といい、みな自然の力です。今日は、自然の恩恵をいっぱい受けて、身体中に力がみなぎるように思いました。

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写真は指宿温泉白水館からの景色です。

白水館 http://www.hakusuikan.co.jp/jp/

通弘

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2006年6月20日 (火)

「峠の力餅」

~通弘の小話 その1~

列車で山形に向かう時、福島を過ぎると板谷峠を越えます。

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ここは昔から交通の難所であります。今から二十数年前、私が弘前の先生の所に
向かう時も、よくこの峠を越えました。福島駅からは、機関車の前にさらにもう一両
の機関車をつなげて、峠に挑みます。やがて連続した急坂を登るうちに、列車はま
るで人が歩くような速度にまで落ちてしまいます。「はたしてこの列車は、この峠を
越えることができるんだろうか?」と、不安になりました 。やっとの思いで峠の駅に
たどり着きます。駅のまわりは山また山。人家もなく乗降客もなく、停車している列
車はしーんと静まりかえっています。すると窓の外からしぶーい声が聞こえてきます。
「ちからもちー。」「ちからもちー。」峠の力餅の売り声です。素朴な手作りの大福餅。
それを、旅の無聊を慰めようとする旅人達が、先を争って買い求めるのでした。

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今は、板谷峠を越えるのは、新幹線電車です。
その昔、あえぐようにして登っていた峠を、あっという間に通り過ぎてしまいます。
そして「峠の力餅」は、今でも新幹線の車内販売で買うことができます。新幹線の
車内で、昔とまったく変わらない「峠の力餅」の包み紙を開いて・・・。
かつての峠越えを懐かしむのです。

峠の力餅http://www.togenochaya.com/(写真も引用させて頂きました。)

通弘

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2006年6月17日 (土)

「さくらんぼ」

先週、尺八の矢下勇厳先生のお仕事で山形に行ってきました。
先生のふるさとの、朝日町のホールでの演奏です。ホールのまわりは、
自然いっぱいでした。
ホールのロビーで水を買おうとしたら、他の飲料はたくさん売っているのに、
いくらさがしてもミネラルウォーターだけは売っていないのです。
仕方が無いので、トイレの洗面所の水をおそるおそる飲んだら。なんとその
水のおいしいこと。トイレの水でさえこんなにおいしいのだから、朝日町の方々
は水を買うなんて考えられないくらい、おいしい水を飲んでいるのでしょう。

公演日の前日には、さくらんぼ畑に案内していただきました。まだ収穫には早く、
さくらんぼはみどり色や黄色でした。でもとてもきれいな色でした。

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今売っているさくらんぼは「加温」と言って、大きなビニールハウスで栽培したもので、
片方の手の平にのるくらいの量で1000円くらいするのだそうです。
その加温のさくらんぼも食べさせていただきました。
そのお味は、お金に変えることができない、すばらしいおいしさでした。

通弘

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