2008年4月29日 (火)

「成田山大合奏」

今日はいよいよ、成田山総門前での奉納大合奏。

今日のために成田市観光協会の方々と打ち合わせを重ねて来ました。
170名ものいろいろな流派の津軽三味線奏者方々が、日本各地から
成田に集まってくださるのです。
慣れない細かい打ち合わせも苦になりません。

なにかわくわくする思いです。

思えば三十年前、私の師匠山田千里が津軽弘前で初めての
津軽三味線競技大会を開き、その後津軽三味線のふるさと
岩木町体育館で、数千名による大合奏を催しました。
これらの師匠の功績が、現在の津軽三味線の隆盛につながったと、
私は思っています。

私はその千分の一万分の一でも、師匠の真似がしたいと思っています。
津軽三味線は、きびしい津軽の風土が生んだ独特な三味線音楽です。
競い合いながら生まれた三味線です。かつては食べる物も食べれない
ような貧しい津軽の人が、他の人を蹴落としても這い上がり、お金や
名誉を得ようと三味線を弾きました。
ですから今でも津軽三味線のイベントでは「バトル。」というものが多いの
だと思うのです。

しかしこれからは津軽三味線も音楽芸術の一つとして、世界の津軽
三味線になるためには、戦いだけではではなく、相和すということも
大切になっていくと思います。
今日は抜けるような青空のもと、津軽三味線を愛する方たちと心を
一つに、津軽三味線を奏でたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月15日 (木)

「広島にて。」

昨日、茅ヶ崎市民会館で高校生を対象にした学校公演を終えて、
そのまま東京駅から広島に入りました。

朝、目を覚まし、ホテルの窓から空を眺めると抜けるような青空。
宮島のあなご飯弁当を買いに行くことにしました。
広島駅から電車で30分弱。宮島口駅に着きます。あなご飯弁当は
宮島口駅の駅弁なのですが、駅ではなかなか手に入りません。
駅から少し歩いて弁当屋さんへ買いに行きます。
ところが弁当屋さんの前はすごい人。あなご飯弁当は予約しても、
今から二時間後だそうです。

予約をしてから、日本で唯一残った鉄道連絡船に乗って宮島へ。
宮島は折しも紅葉の季節とあって、すごい人。
かつて、連合艦隊司令長官山本五十六が愛人と密かに逗留した
『岩惣』も、観光客でいっぱいでお茶も飲めません。
人は多くても、もみじ谷のもみじは素晴らしかったです。

200711151244000


200711151246000


今夜は『広島オーティス』でのライブ。
もう何年続いているのでしょう、年1、2回の『オーティス』でのライブ。
今夜もマスターの佐伯さんをうならせる演奏をしなければ。

佐伯さんに、「今回の演奏も素晴らしかったです。」と言われたいのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月20日 (土)

「成田弦まつり。」

成田弦まつりは数年前から三味線、主に津軽三味線をメインに
したお祭りにしようと、成田商工会議所が主催して行っております。

私も近くに住む津軽三味線奏者の一人として、私の出来ることで
協力させていただいております。
特に今回は、成田山本堂での百人大合奏をするということで、
私もいろいろな津軽三味線の先生方に参加を呼び掛けました。
おかげ様で今回は、目標を大きく上回る約130名の津軽三味線
演奏者の方々が集まって下さいました。

白い鰯雲が浮かぶ青空の下、たくさんのお客様を前に本堂前
大階段にて、私の師匠の作曲した『あどはたり』を合奏しました。
いろいろな流派の方々が心を一つにして、このような晴れの
舞台を共にすることが出来て本当に嬉しく思いました。

十数年前私の師匠は、青森県岩木町を津軽三味線のふるさと
として、津軽三味線フェスティバルを開催して、日本全国いろいろな
地方の先生方に声をかけて、流派を越えて一つのフェスティバルを
創りました。

その時もやはりこの『あどはたり』を、岩木町体育館で
数百名の大合奏をいたしました。
今にして思えば、師匠の企画したこのフェスティバルと弘前の
三味線コンクールが、津軽三味線の世界を開かれたものにして、
そのことが若者達による現在の津軽三味線ブームに繋がっていった
のではないでしょうか。

本堂前大階段からふと空を眺め、師匠に語りかけました。

『先生。私は今でも、先生の後ろを追いかけています。』


|

2006年11月26日 (日)

「新酒の為の演奏会」

昨日は酒蔵での演奏会でした。

お酒を作る大きな樽のようなタンクがたくさん並んでいます。
まさにそのタンクの中では、酵母菌でお酒が育っているのです。
ここは北陸の魚津市。東京に比べてとても寒く、空気が澄んでいて、
ぴんとはりつめたような寒さです。演奏の前に会場となる酒蔵と、
敷地内にある湧き水を案内していただきました。
この湧き水は「日本の湧き水百名泉」に選ばれているそうです。
こんこんと湧き出でる湧き水を飲めば、冷たくても柔らかく、すばらし
いお水でした。こんなお水でお酒を作るのだから、出来たお酒は
たまらないだろうと思いました。
早くもこの湧き水で出来たお酒が、飲みたくなってきてしまいました。

演奏をさせていただける場所は、お酒の神様を奉ってある大きな
神棚の前です。外も寒いのですが、蔵の中はもっと寒いのです。
蔵の中は醸造中のお酒の為に、なんと冷房をかけていたのです。
お客様は50名くらいの方々。最初に社長さんのご挨拶がありました。
お酒はあと三日ほどで絞るのだそうです。その絞る前のお酒に、
三味線の演奏を聞かせていいお酒にする為に、私が呼ばれたの
です。せっかく演奏するのだから、聞かせるのはお酒だけではもっ
たいないので、親戚や近くの知り合いにも声をかけたのだそうです。

今日の私のお客様は、新酒だったのです。

昨夜は、蔵からいただいたまだ絞る前の濁った白いお酒。
純米酒。吟上酒。まったく堪能を致しました。おかげで今朝は寝坊
してしまいました。

今日は蔵本のご親戚の、お宅での演奏です。

|

2006年11月 5日 (日)

「いわき弁」

今日はいわき市の公立高校での、学校公演。
栃木県大平町から昨夜のうちにいわき市に入り、今朝は早くから学校の
体育館でサウンドチェックです。

今日は、おだやかないいお天気。教室から、かすかに生徒さん達の歌声が
聞こえてきたりします。生徒さん達は、純朴そうな感じの若者達です。
なにか先生と生徒の関係がほのぼのとしていて、とてもいい感じがしました。
この学校は進学校ではないからのんびりしているんだそうです。

この高校の校長先生とは、十数年来のお付き合いをさせていただいております。
話しは変わりますが、校長先生は、映画「フラガール」を見て、映画の中で七回
も泣けたそうです。

そのお話しを伺い、私も「フラガール」を見に行きました。
七回は泣きませんでしたが、私もやはり泣けました。一心に、芸に精進していく
純粋さが、やはり人の心を揺さぶるのでしょうか。
結局、私は二度もこの映画を映画館で見てしまいました。

「フラガール」は、常磐炭坑閉山に向けて、炭坑夫達がリストラされていく中で。
その救済策の一つとして有り余る常磐の温泉を利用して、「常磐ハワイアンセ
ンター」を作る時のお話しです。
映画の中で、ふんだんに福島弁、いわき弁が使われています。
そのいわき弁が、ますます校長先生の涙を誘ったのでしょうか?
私にも主人公の女子高生の方言が、とても好ましく、可愛くうつりました。

私は密かに、この学校公演での生徒さん達とのやりとりの中で、生徒さん達の
いわき弁が聞けることを楽しみにしていたのですが、やはり生徒さん達は方言を
話してくれませんでした。
しかしこの後の打ち上げで、地元の方々のいわき弁を、それこそふんだんに聞く
ことができました。皆さんのお話しを聞いているだけで、なんかほのぼのと楽しく
なってしまいます。

私は福島弁、大好きです。

|

2006年11月 4日 (土)

「大平町親子コンサート」

今日は栃木県おおひら町民ホールでのコンサートです。
通芳と二人での出演は、七月以来久しぶりのことです。

大平町は東北新幹線の小山駅から、お迎えの車で約20分。
小山の町を出ると、見渡す限りの広い平野が広がります。
なるほど、これは大平町です。

開演前、私がどんちょうの裏でスタンバイをしておりますと、町の助役さんが
どんちょう前でご挨拶をなさっております。
そのご挨拶の中で、「佐藤通弘さんは、映画『アダン』の音楽に参加なさって
おります。映画『アダン』は、皆様ご存じ当大平町出身の画家、田中一村の
一生を描いた作品であります。当大平町でもロケが行われ、映画の中に出
てくる古い家は、大平町の○○さんの家です。・・・」

またまた私は驚きました
私は大平町には初めて来させていただいたはずなのですが、なぜか大平町
という町を聞いたことがあるなぁ、と感じていました。

本当に、縁とは不思議なものです。

明日はいわき市の高校での、学校公演です。

|

2006年11月 3日 (金)

「大安寺柳の蝉の声」

今日は岐阜県の大安寺という、古いお寺でコンサートです。

出演者は私と尺八の田辺頌山さん、太鼓唄の木津茂理さん。
それにすばらしい絵と言葉をお書きになります、作家のひろはまかずとし氏です。

今回のコンサートは、ひろはまかずとし先生のファンの方々によって実現しました。
いつもの私達三人の演奏に加え、ひろはま先生の創作実演と演奏とのコラボレー
ションが行われました。
大安寺は大変古い由緒あるお寺だそうです。私達の控え室にあてて下さったお部
屋には、昔、和尚様が篭ったという、狭い隠れ部屋のような部屋がありました。
茂理さんは、その部屋に篭って着替えをしていました。

私のソロ演奏の後に、木津茂理さんが田名部お島コ節を唄いました。

♪「田名部お島コのー、音頭とる者はー。大安寺柳の蝉の声ー。」

大安寺?私は驚きました。
少し背筋がぞわっとしました。
田名部お島コ節の歌詞の中に、大安寺があったのです。

明日は栃木県大平町、通芳と演奏です。

|

2006年10月16日 (月)

「酒遊舘の音の神様」

昨日は滋賀県近江八幡の酒遊舘という、江戸時代から続く蔵本の蔵をそのまま
ホールにした、という空間で演奏をさせていただきました。

200610151610000

私はこちらで年に一度、秋に演奏させていただいて今年で13年目です。
毎年この酒遊舘で演奏するこを楽しみしています。この空間は、江戸時代からの
蔵という、年月を重ねた古い建物です。このような古い建物には、その場所その
場所独特の味わい深い音があるのです。酒遊舘の音は、音の余韻が丸く延びて、
私にはとても色めかしく感じられるのです。
いつも酒遊舘に来る時は、早めに会場入りをして、二時間も三時間も三味線を
弾いてその音を楽しみます。ですから、本番開演の時にはもうすでに演奏を終え
た後のような気分になってしまっていたりします。

200610151609000

昔からお酒を造る時には、酵母菌が発酵して・・・というようには考えず、ひとつ
ひとつの蔵のそれぞれ神様がいて、それぞれの味わいのあるお酒が出来る、と
考えたそうです。
演奏する音にもやはり、それぞれの空間に音の神様がいて、それぞれの味わい
のある音が出来るのでしょうか。 私は来年の秋にもきっと、酒遊舘の音の神様に
会いに行くことと思います。近江八幡の古い街並みにはまた風情があります。
酒遊舘はその古い街並みの中にあります。

皆さんも秋の近江八幡を味わいに、そして酒遊舘の音の神様に会いにいらっしゃ
いませんか?

通弘

|

2006年9月 5日 (火)

「英国総督邸にて」

12日間のオーストラリア演奏旅行、おかげ様にて、無事に終えて帰国することができました。
今回の演奏旅行もまた、私にとって忘れることのできない旅のひとつとなりました。

その中で印象に残ったのは、英国総督邸にての演奏会でした。
なん百年も前にたてられたという、重厚な煉瓦造りの総督邸は。見晴らしの良い丘の上で、芝生と咲き誇る花の中にありました。私達が大きな車寄せに到着すると、執事がにこやかに出迎えて下さいました。総督邸は建物もお庭もとてもひろく、二階や三階のテラスはまるで映画のセットに出てくる、英国のお屋敷そのものです。演奏者もスタッフも国際交流基金の方々も、みんなで写真を撮りました。私達の演奏は邸内のホールでさせていただきました。お客様は120名くらい。日本の総領事夫妻をはじめとする在ブリスベンの日本の方々と、英国総督をはじめとした英国、オーストラリアの 日豪交流の関係する方々でした。演奏が終わると総督が拍手をしながら立ち上がって下さり、それに続くように他のお客様も立ち上がって下さいました。

演奏の後には、大きなエリザベス女王の肖像画のあるお部屋に招かれ、飲み物をいただきながら総督閣下と懇談させていただきました。暖かいおもてなしの心遣いに、私達は皆感激いたしました。演奏家をしていてよかったなぁ、と思いました。

オーストラリアはまだ形式は英国の植民地です。ですから英国から派遣された英国の総督がいるわけです。そのへんの事情を現地の方に伺ってみました。オーストラリアの現状はもうほとんど独立国です。しかし昔からの大英帝国の一国という形は残している。このままの形を残して大英帝国のなかの一国でいるか、それとも形式的にも完全に独立をするのか、国民投票が行われたそうです。すると僅差で大英帝国の一国にとどまることになったそうです。ただ、むかしながらに英国王室を敬愛するお年よりのような人々がこの先減って、また次回国民投票が行われた時には独立になる可能性が高いそうです。

私はとても感心しました。一つは、国の大きな分かれ道を決める時に、国民投票をして国民に直接に決めさせたこと。そして僅差であったにもかかわらず国民投票の後は整然とその決定に従ったこと。 またもう一つは、少しの戦争も紛争もせずに、ひとりの犠牲者も出さずに独立することが出来るということ。なんて素晴らしいことなんだろう、と思いました。戦争や紛争を起こして、憎しみの連鎖を繰り返すよりも。お互いの尊敬や親しみを持ったまま、お互いを認めあうことが出来る。これは百万の軍隊を持つより力強く国を守ることではないだろうか。と思いました。

|