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2011年12月31日 (土)

『いとこ。』

ピンポーンピンポーン。
玄関のインターフォンが、鳴るか鳴り終わるかのうちに、
勝手にどしどし入って来て私の枕元に座った。

『足は痛いの?』と、いつもの愛嬌のある顔で聞いてきた。
『痛いから寝てるんだよ。』と、少し頬を膨らませた。
私はまた足がはれてきて、もう年の瀬だというのに、
寝床から空ばかり見ている。

彼は私のいとこ。
私がもの心つく頃から、盆と暮れには必ず見る顔だ

昔私は、盆と暮れには必ず、福島県田村郡にある親の実家に行っていた。

小学低学年頃。
夜遅く福島に着いて、翌朝私はいつまでも眠っていた。
朝早く彼は私が来たことを知ると、村のおもちゃ屋で私の好きな潜水艦の
プラモデルを買って、急いで潜水艦を完成させた。
それを持って私のところに来たのだが、『起こしたらだめだぞ。』と、
おばあちゃんに怒られて。
枕元でずっと静かに、私が起きるのを待っている。
お昼近く私がその気配に、ふと目を覚ますと。
目の前には完成した潜水艦と、あの愛嬌のある笑顔があった。


『秘密基地に連れてってあげる。』と、実家の裏山に入って行った。
『ここは、親にも兄弟にも、誰にも言ってはいけない秘密の基地だからね。』
木の枝で作った屋根。ちゃんと藁もかけられている。
私はとてもわくわくしてきた。
早速彼に、お菓子とジュース。面白い本を持ってくるように言った。
彼の方が一つ年上なのに、私はいつも威張っている。
それから二人でお菓子とジュースを飲みながら、彼のお兄さんのえろ本を堪能した。
『よし、これからタバコを吸うぞ。タバコを持って来て。』
実家ではタバコの栽培をしていた。その干しているタバコの葉を密かに、
彼に持って来てもらう。
タバコの葉をくるくる巻く。これは本物の葉巻だ。
火をつけて吹かす。
か、からい!
なんだこりゃ?
もう一度吹かしてみる。
うわっ!
今度は頭がぐらぐらしてきた。
気持ち悪い。こりゃ大変だ。
ふらふらしながら、すぐ帰った。
しばらくご飯が食べれなかった。
おばあちゃんが、『どうしたの。どうしたの。』と、蒼い顔をしている私に聞いてきた。
何も答えることは出来なかった。
その時私は、生涯の禁煙を誓った。

私は彼をいじめたことがある。
内容は覚えていない。
彼はブランコで一人泣いていた。

私は納得のいかないことには、親やおばあちゃんの言うことでも
頑として聞かない子供だった。
叱られてわんわん泣いた。
そうゆう時彼は、側に来て、私の肩に手を置き一緒に泣くのだった。

小学生高学年の時、二人で蒸気機関車の写真を撮りに、
列車で会津坂下に行った。
会津坂下駅近くの踏切でカメラを構える。
いよいよ蒸気機関車がやって来た。
私は夢中で写真を撮った。
どうゆう訳か、撮っているその機関車の方から
『みっちゃん!みっちゃん!』と、必死に私を呼ぶ声がする。
彼は私の財布と切符を持ったまま、その蒸気機関車の列車で帰ってしまったのだ。
私は、そこから歩いて帰ろうとそのあたりを彷徨しているうちに、
親切なおじさんに助けられた。
お金を貰って、切符を買った。

彼はカメラマンになった。
一流のカメラマンの助手として、十数年修業した後、独立をした。
恵比寿の駅前に個人事務所を構え、年収何千万円稼ぎ出し。
嫁さんも貰い、順風満帆の人生だった。
私とお互いの海外の仕事でニューヨークで落ち合い、ステーキ食べた。
ところがバブルがはじけると、まったく仕事がなくなった。
そして彼は石工になった。
石工の技を磨き続けた。
私の親父の眠る墓石も、彼の作品だ。
今は職人の風格さえ感じさせる風貌になった。

その長い長い年月の中に、どれだけの二人の盆と暮れが、あったのだろうか。

年の瀬だというのに、今日も空が青い。
『また、カメラを始めようと思っているんだ。』と言うから。
『思っているだけじゃあだめだろ。始めなきゃ。』と、言ってやった。
彼の方が一つ年上なのに、私はいつも威張っている。
『じゃあまたおいで。』そう言って私は、また空を眺める。
彼は帰って行った。

『来年のお盆に、また会おう。』
私の心の中で呟いていた。

終わり。

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2011年12月28日 (水)

『右足闘病記』

11月11日 広島オーティス
 
111100
 
今年のオーティスのお客さんも、すごい集中力。
まるでコンサートのようだ。
演奏に気が入る。
夜半から、何やら右足の甲が少し痛み出した。
かまわず眠る。

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11月12日 近江八幡酒遊館

朝広島駅に着くと、新幹線が止まっていた。
岩国駅での信号機トラブル。
お昼ごろ動き出した新幹線にとりあえず飛び乗る。
岡山駅で早い方の新幹線に急ぎ乗り換える。
足が痛いなんて言ってられない。
三味線と荷物を両手に持ちながら、ぴょんぴょん
飛ぶようにビッコをひきながら乗り換える。
近江八幡の酒遊館には開場一時間前に着けた。
バタバタと、リハーサルや着替えなどの準備をしていたらもう開演。
今晩も気を入れて演奏。
そのまま楽しい打ち上げ。
足の甲がけっこう痛いのに気がついたのは、ホテルに着いてから。
痛さで、眠るのに時間がかかった。
 
111200
 
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11月13日 大阪山本亭

山本亭は、元会社の社長さん宅を落語や音楽のライブに
開放しているところ。 二間続きの畳の部屋がライブ会場。
なんか暖かい雰囲気。
昔の津軽の芸人達も、こんな感じで演奏していたのかなと思う。
打ち上げ会も暖かい。皆さん家族みたいな雰囲気。
演奏が終わると、足が痛いことを思い出す。

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11月18日 町田モコモコ

旅から帰ってからも、右足の甲の痛みは続いている。
ずっと足の甲をかばってたくさん歩いたせいか、
昨夜からは右膝も痛くなってきた。
膝が曲がらないので、車の運転も出来ない。
お弟子さんに運転してもらって、松葉杖を突いて会場入り。
演奏が始まると、足のことは忘れてガンガン演奏。
演奏が終わると、美味しいモコモコのカレーで打ち上げ。
この夜中から激痛高熱地獄が始まることも知らず、
みんなと食べるカレー打ち上げ、なんかとても楽しかった。

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11月19日 帝国ホテル

今日は通芳と2人で帝国ホテルで演奏の予定。
昨夜半からの膝の激痛。熱は40度近い。
とても起き上がることは出来ない。
通芳とお弟子さんで演奏に行ってもらった。
膝を少しでも曲げると激痛。
膝下に枕を置いて、角度を変えないようにする。
トイレだけはどうしても自力で行きたい。
少しずつ少しずつ、這うようにしてトイレに行く。
行くだけで、30分かかる。
少し足をぶつけて、痛さのあまりに気を失いかけた。
たまらず鎮痛解熱藥を飲む。
長く効くはずの薬も、一時間ぐらいしか効かない。
その一時間が、ささやかな楽園。
夜は布団を何枚かけても寒くて寒くて、ガタガタ震え続けた。

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11月28日
 
あれから40度近い熱が3日続いた後、
39度38度微熱と、少しずつ熱は下がってきた。
熱は下がったが、右足の甲と膝のはれと痛みは変わらず。
松葉杖でトイレまで行くのがやっと。
22日の音金ライブも行けなかった。

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11月30日 成田商工会議所

日々、足のはれや痛みは変わらない。
今日は思いきって成田商工会議所に、成田弦まつりの
代表者会議に行くことにした。
成田商工会議所はエレベーターがない。駐車場から二階まで階段だ。
二本の松葉杖と左足で一段一段のぼって行く。
五段のぼると休む。息があがる。
会議室では特別高い椅子をさがしてもらった。何せ右膝が曲がらないから。
久し振りに皆さんと話をして、とてもうれしかった。いっ時、足のことを忘れる。
帰りの階段は、副会頭におんぶしてもらって降りた。

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12月1日

夜中から、激しい痛みが襲ってきた。とても寝ていられない。
やっぱりまだリハビリには早すぎたんだ。
くやしい!
いったいいつまでこの痛みを我慢すれば治るのか。
お医者さんで検査しても、病名すらわからない。
明け方の薄暗い天井を見ながら、一人涙をこらえて歯をくいしばる。

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12月4日 いわきアリオス大ホール

今日は福島県いわき市のアリオス大ホールでの復興イベントコンサート。
私の代わりに通芳が行った。
私の演奏を聞きに来てくださるはずだったお客さまには勿論、
スタッフの皆さんにも、大変申し訳なく。
ただただ謝るばかり。
でも一人明るいやつがいる。
『え!アリオス大ホールで一人で演奏
好きな曲ひいていいの?』
通芳はノリノリでいわきに行った。
嘘でもいいから『お父さん大丈夫?』の
一言ぐらい言って行けばいいじゃないか。

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12月13日

右足のはれと痛みは相変わらず。
今日の演奏も、通芳に代わってもらった。
申し訳ない。
すみません。
中村勘三郎さんのドキュメンタリー『涙の復帰スペシャル』のDVDを見る。
勘三郎さんが顔をゆがめてリハビリをしている。
体が思うようにならず、「ちくしょう!ちくしょう!」と、歯をくいしばっている。
勘三郎さんの気持ちが、痛いほどわかる。
涙が止まらない。
勘三郎さんも頑張った。
私も必ず、復帰する。
17日の長野県のコンサートは、ぜったい演奏する。
 
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12月16日 長野県茅野市

今日は車に乗せてもらって、長野県茅野市まで来た。
明日は午後2時半から茅野市民館のコンサートがある。
明日のコンサートで、必ず演奏復帰することを目指してきた。
でも心配なことはたくさんある。
右の太ももが痩せて骨と皮だけになってしまい、
痛くて三味線を構えていられない。
昨日まではほとんど寝ていた、体力はもつのか。
一ヶ月近く三味線を弾いていないのに、演奏で
お客さまを喜ばせることは出来るのか?。
いろいろ考えてしまう。
せっかく早くホテルのベッドに入ったのに、なかなか寝つかれない。
ホテルの窓から、青白い月に照らされた白い八ヶ岳が、うっすらと見えてる。
 
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12月17日 茅野市民館

目が覚めると、白銀の八ヶ岳が朝日に光っている。
寝不足なのに、だるさは無い。
なにか澄みきった心地だ。
今日は大丈夫。きっといい演奏が出来る。
会場入り、サウンドチェック。
梅津さん多田さん、吉見さん。ミュージシャンの面々。
顔を見るだけで嬉しくなる。
田根さんが楽屋にシナモンアップルパンケーキを出前でとってくれた。
こんな美味しいもの、今まで食べたことないと思った。
お弟子さんが右足のつけねにタオルを巻いて、
その上から腹巻きでとめてくれた。
これで三味線をかかえても痛みは感じない。
よし!
茅野市民館は緞帳が無い。
松葉杖で舞台に登場。
津軽音頭のソロが一番緊張した。
三味線を乗せているのが、自分の太ももじゃなくて
タオルと腹巻きだから、安定が悪い。
三味線を、演奏の途中で落としてしまうんじゃないかと、恐怖との戦い。
津軽音頭、無事に弾き終えた。
やった!
あとは演奏、お話し、お客さまとのやり取りに集中する。
いいお客さん方。
本当にありがたい。
生きる力を少しでもお客さまに与えたいと思っていたのに。
生きる力をもらったのは自分の方だった。
立って歩ける。
食べれる。
三味線が弾ける。
あたりまえのことが、あたりまえのように出来る。
そのことがどんなにありがたく、幸せなことか。
ありがたい。
本当にありがたい。
 
 
右足闘病記 完

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